今日は、タンゴの話し。
タンゴは19世紀末に、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで生まれた。当時、南米屈指の貿易港だったブエノスアイレスのなかでも、船員や娼婦がたむろする場末で発生した踊りと音楽をタンゴと呼ぶ。
今でもタンゴに死を夢想させるほどの、極限の快楽の匂いが立ちこめているのは、成り立ちがそうさせるためだ。
タンゴは、1920年代半ばと第2次大戦前にヨーロッパで大ブームを巻き起こしたから、エクスタシーや無頼感がぐっと薄まった、ヨーロッパ製のいわゆるコンチネンタル・タンゴも派生した。が、真のタンゴには惚れた男女が手に手を取って駆け落ちしたくなるような、そんな誘惑がなくては嘘である。だから、タンゴは本家アルゼンチンのものに限るのだ。
ただ、70年代にタンゴの新しい潮流が起こったのは、祖国ではなくパリでだった。軍事政権下にあったアルゼンチンから逃れてきた音楽家が、多く住んでいたからである。
改革の立て役者であるアストル・ピアソラは、ヨーロッパで異ジャンルの音楽家と果敢に共演し、モダン・タンゴの名曲を数多く残した。77年にフランスに亡命した
ファン・ホセ・モサリーニも、演奏活動とともに教育活動を行い、ピアソラ亡き後その後任を自負し、モダン・タンゴを世界に広めてきた。そのモサリーニが、この12月に7度目の来日を果たす。
ファン・ホセ・モサリーニは、
ピアソラのカリスマに比べると、繊細な表現に秀でた、職人肌のバンドネオン奏者/作曲家だ。とはいえ、決しておとなしいわけではなく、緊張感をもった演奏は圧巻で、彼のコンサートに張りつめる濃密な気は、他のコンサートでは味わえないものだ。
43年に生まれ、60年代は祖国の様々な楽団で伝統を学び、77年にパリに渡ってからはオーケストラのソリストに映画音楽と、より自由な音楽活動を行ってきたモサリーニだ。モダン・タンゴを聴くなら、今はこの人しかいないのである。