私が今世界を見渡して、最も色っぽい歌声をもっていると讃えてやまない カエターノ・ヴェローゾの話を今日はしようと思う。なにせ、5月に8年ぶり、3度目の来日公演が行われるものだから、今から鼻息が荒いのだ。
「色っぽい」とは言っても、これはあくまで(賛同者多数の)私見で、カエターノ・ヴェローゾは母国ブラジルではカリスマ中のカリスマ、オピニオン・リーダーでもあり、ブラジルの知性と呼ばれているシンガー/作詞・作曲家だ。1942年バイーア州生まれだから、もう還暦を超えているわけだが、スレンダーなボディから放たれる歌声は、両性具有的な甘さをもち、女ばかりか男までもとりこにする。甘い歌声のなかに隠された狂気に近い飛びぬけた知性が、一滴の毒となって、聴き手をアディクト状態にするのだ。
それは彼の来し方にも表れていて、68年に「トロピカリズモ」と名付けたマルチ・カルチャー・ムーヴメントを起こしてからは、当時のブラジル軍事政権からメッセージが過激すぎ、姿勢が急進的すぎると目をつけられ逮捕された上に、国外追放。69年から3年ほど(同級生であるジルベルト・ジルと共に)ロンドンで亡命生活を余儀なくされた。
帰国後は、アフリカ文化が色濃く残る故郷バイーアの音楽をはじめ、前衛から伝統的なものまでジャンル不問、様々な音楽を取り入れ、哲学的な詩を書き、常に挑戦者としての姿勢をくずさなかった。
これまでに発表したアルバムも40枚を数え、そのライヴの素晴らしさはまた特筆ものだ。ブラジル国内は当然のこと、ニューヨークでも世界中のどの都市でも、チケット入手困難。日本での公演でも、ブラジルのサッカー場に来たかと見まがうほどブラジル国旗がひるがえり、熱狂をもって迎えられるのが常だ。

まず90年の初来日が、エキサイティングだった。カエターノは、黄色いレインコートをハリウッドの女優が楽屋で着るローブのようにまとい、誘惑の仕草で官能的に泳がせながら歌った。
「ブラジルの知性」の肉体的な美しさに目を奪われるとは、まったくもって予想していなかった私は、イチコロだった。彼はスレンダーで眼光も鋭かったが、歌はそれ以上に尖(トガ)っていた。彼は当時の新作『エストランジェイロ』の〈内面の月〉から歌い始めたが、その尖りぐあい、先鋭性に強く惹かれ、彼が裏声を使ってひきつるような声を出すとき、彼がブラジルで感じてきた公憤を共有し、私のノドもひきつった。
60年代のブラジル政府に「反社会的存在」と目をつけられながら、若者たちには熱狂的に支持された伝説は、昔話にはなっていなかった。訪ねた楽屋でカエターノが言った。
「面白い話ではないが、去年(89年)、バイーア地方のゴミ処理政策があまりになっていないので、そうインタビューに答えて発言したところ、ふざけたクリスマス・プレゼントをもらうことになった。庭に爆弾が投げ込まれ、家の至ることころに銃弾が打ち込まれたんだ」
この一件は、私たちにブラジルという国がもつ不安定な一面と、ブラジルを愛し、愛するが故にそこで一人の人間として怖れずに発言を続けていくカエターノ・ヴェローゾのパッションを伝えてくる。
彼は、こうも言った。
「東京初日の(90年)8月7日に、48歳になった。日本で今年の誕生日を迎えたことに、因縁めいたものを感じている。日本のイメージの断片を詩にも書いているけれど(85年、Voce e Linda)、実際に来てみて不思議ななつかしさを覚えるね。ヨーロッパより日本の方が、ブラジルに近い感じがするんだ。どうしてそう思えるのかは、胸にしまって国にもち返り、あとで大事に反芻することにしよう」
2度目の来日は、97年、渡辺貞夫の招きに応じて彼がプロデュースする「KIRIN LAGER CLUB」に出演したときだった。カエターノはその時点の新作『粋な男』をステージにかけたが、このアルバムは、ラテン名曲集ともいえるもので、ラテンの美しいメロディの数々をスペイン語で歌った作品だった。甘美で妖しい歌声を前面に出し、前衛性は彼の背広のポケットにそっとしまわれていた。
どこまでもロマンティックな歌が、アンドロギュノス(両性具有)の歌声で歌われると、聴いているだけで溶けていきそうな感覚を覚えた。彼の尖り具合に惚れてきた私も多くのファンも、その甘さにまったく不満を覚えなかったのは、それがただ甘いだけではなく、歌の奥底にカエターノが磨き抜かれた鋭い刀を沈ませているのを知っているからだった。

今回の来日も、前回同様、甘美な歌声に酔うことになるだろう。スタジオ録音最新作の『異国の香り〜アメリカン・ソングス』は、彼が英語でアメリカン・スタンダードを歌った作品で、スタンダードはこう歌いましょう、といったお手本のようなアルバムである。カエターノは、そのアルバムを作った動機を、こう語っている。
「世界中の人々がその人生や音楽をより豊かで美しいものにしてくれたアメリカのポピュラー音楽に、感謝する方法を見つけたいと思い、心を砕いています。私もその一人なんです」
そこに収められたスタンダード・ナンバーは、23曲!にもおよび、総体的に柔らかな感触をもっていた。絹の声が、やさしく心をつかんでくる。香りで言えば、薔薇だろう。ローズ・ド・メの、甘美だが決して甘すぎない馥郁たる香りがする。
このスタンダード集で何より感心したのは、カエターノがそれをブラジルに引き寄せすぎることなく(一部のアレンジにブラジル色がすてきに配されていたが)、まっこうから勝負し歌い、そしてそれが素晴らしかったという点だ。
英語も堪能な彼だが、 アート・リンゼイのお兄さんであるダンカン・リンゼイの名を、イングリッシュ・ランゲージ・アドヴァイザーとして記している。聞けば、発音や歌い回しなどを入念にチェックした上で、レコーディングしたのだという。異国の人が英語の歌を歌う場合、そうすべきだ、そうするものなのだなと、英語が母国語ではない私は、ここでもひとつ教わった。ぜひ大事に思う日本のシンガーに、そのことを伝えようと、心に決めた。
10年前に『粋な男』で声の艶を増し、抑制のきいた表現をものにし、すべての面で一段とレベル・アップした「歌手カエターノ」。それ以降ライヴ・アルバム『リーヴロ』『ノイチス・ド・イルチ』を録音、『チエタ』『オルフェ』の映画音楽を担当し、ジョルジ・マウチネルとの『オレは謝らない』を発表した。還暦を迎えた2002年には、全リーダー作を網羅したCD40枚以上のボックス・セットを発売。ジェーン・バーキンの新作『ランデヴー』にデュエット相手の一人として招かれ、映画『フリーダ』のテーマ曲〈バーン・イット・ブルー〉をメキシコの女性歌手リラ・ダウンズとデュエットし、2003年の75回アカデミー賞授賞式ではライヴ・パフォ−マンスを披露した。このように、60歳をはさんで絶頂期と呼べる活躍をみせている今のカエターノなのである。

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