< 中川ヨウのミュージック・ダイアリー
< TOP < Previous next >
QUEEN再始動 [2005.04.29]
※権利者の許可を得ずに、複製することを禁じます。
 お待たせしました。今日はQUEENのことを、書きますね。
 QUEEN再始動、それにQUEENのミュージカルが5月27日から夏休みいっぱいまで新宿コマ劇場で行われるとあって、QUEENの話題で盛り上がっている昨今ですもの。今書かなくて、いつ書くんだ、という感じです。
 ただ、そのミュージカル「We Will Rock You」ではQUEEN楽曲はふんだんに使われるものの(口パクではなくキャストが歌い踊る)、メンバーは出演しないので、悪しからず。
 QUEENも再始動しています。今年3月末にスタートしたQUEENツアーは、始まる前から賛否両論、侃々諤々(カンカンガクガク)。外野がうるさいことでした。
 まずロジャー・テイラーとブライアン・メイしか参加しないのに、「QUEENを名乗るとはいかがなものか?」と、こだわりのファンが問題視。(これから入門という人のために書くと、ヴォーカリストで多くの楽曲を作曲したフレディ・マーキュリーは、13年前に亡くなっています。HIV感染のためでした。ベーシスト、ジョン・ディーコンは参加していません)。
 また、ヴォーカルをとるのが、ポール・ロジャースだということで、「ええ!?」の声が湧き起こりました。ちなみに名義は「クイーン+ポール・ロジャース」とクレジットされています。

 私も、やっぱり「???」って思いましたね。QUEENもポール・ロジャースがいたFREEも、好きなのですけれど。クイーンと、(ポール・ロジャースのいた)フリーやバッド・カンパニーの音楽性が、違いすぎるから。また歌い上げ派/バカウマ/澄んだ歌声のフレディと、かすれた声が魅力のポール・ロジャースじゃ、声質も違いすぎますッ。  でも、インターネットで〈ウィ・アー・ザ・チャンピオン〉をやっているのを聴いたら、これが良かった。ちと、びっくり。グッときちゃった。
 音楽は聴いてみないと、わからないものです。

 もちろん、フレディ・マーキュリーのパフォーマンスを期待するのは大まちがい。「姿」も「声」も、フレディだけのもの。でもポール・ロジャースだって、極上のロック・シンガーですから、上手いヤツは何を歌っても上手いわという、当たり前の感想をもってしまった。
 ま、日本に来たら、当然行きますね。
 KISSが太った今も面白いように、QUEENも楽しめる気がする。初期のQUEENは(意外なほど)メッセージ性をもつことは念頭になく(特にフレディは)、エンターテインメントに徹したバンドだったから、かえって時代や演奏者に関係なく、盛り上がるしくみに曲ができているんです。
 あなたも、カラオケで歌っているんじゃありません?あなたが歌っても盛りあがるんですから、ポール・ロジャースならもっと盛りあがるでしょう、と思うわけ。

 「クイーン+ポール・ロジャース」の来日公演が実現する前に、ミュージカルを見に行くのが、現実問題としては先。
 ミュージカルのことは次回にまわすとして、今日はQUEENの復習をしましょうか。
 日本のお茶の間がQUEENを広く認知し、今まで聴いたことがなかった若い世代が「ぐっときてしまった」のは、2004年、木村拓哉が主演したTV ドラマ「プライド」でQUEENの曲が多く使われたからでした。
 そう、フツー洋楽ですと、オープニングは無理目で、エンディング・テーマ曲に使われるだけの予算しかありませんが、この場合は例外でした。(TV ドラマのテーマ曲に選ばれるためにはor選ばれると、レコード会社はTV局にお金を払います。それも多額。それはそのドラマの制作費の一部に当てられ、ドラマはその金額を加えた予算を最初から想定して構想を立て、俳優の人選を進めます。この方針がよいかどうかは別として、ある種堂々とした表金で、裏金ではありません。)
 アイスホッケー・シーンを映し出すオープニングに使われた〈ボーン・トゥ・ラヴ・ユー〉が、プロモ・ヴィデオのようにはまり、また、かなりマイナーな曲も随所で使われたので、入門者はもちろんコアなファンまで、満足度が高かったのでした。(もちろん怒っていたファンも多数。怒ってる派は、ミュージカルも絶対嫌いです。)

 そしてレコード会社である東芝EMIも、当然ながらQUEENのベスト盤を発売しました。これが『ジュエルズ』(日本限定)です。TVと口コミの相乗効果で、『ジュエルズ』は結果的に150万枚近くセールスしました。
 キムタク効果だけでは、150万枚は無理でしょう。やはり、QUEENのカリスマ性のある楽曲の威力だと、思わずにはいられません。
 QUEENムーヴメントを盛り上げようと、東芝EMIは懐かしいフィルム・コンサートを幾度も開催しました。そこに集まった新旧ファンは、フレディ・マーキュリーの画像からの呼びかけに応え、一緒に歌うという快感を、今一度味わったのでした。

 本国イギリスをはじめ、欧米でもリリースが続きました。82年のホット・ペース・ツアーが『オン・ファイア/クィーン1982』というタイトルで、CDとDVD で発売され、伝説となっている『ライヴ・エイド』のDVDも、とうとう正式に(!)リリースされたのです。
 QUEENの良き理解者であり続けた日本や本国での動きと連動するように、QUEEN再始動、QUEENのミュージカル日本公演決定と、今の「QUEENよ再び旋風」につながる下地ができたのでした。
 では、QUEENとはどんなバンドだったのでしょう。
 QUEENのデビューは、1973年。デビュー作は『戦慄の王女』。酷評でした。
 バンドの命名者は、もちろんフレディ・マーキュリー。QUEENには、オカマっていう意味もありますが、フレディがその意味でつけたとはとても思えない。
 彼がゲイだったということは、今では誰でも知っていますが、本人がカミング・アウトしたのは亡くなる前日だったそうです。昭和21年、いえ1946年生まれのフレディは、仲良しでもあったエルトン・ジョンと同い年なわけで、当時はゲイに対する世の中の考え方もひどく閉ざされていました。だから歌詞を深読みするか、同じゲイの人々といった、わかる人たちには歴然とわかっていたのですが、デビュー当時の本人にカミング・アウトの意志があったとはとうてい思えません。
 デビューしてから、75年に『オペラ座の夜』がヒットして評価される間の時代感覚はというと、69年に行われた若者の祭典、ウッドストックも終わり、ロックは反体制のものという色がもう薄れていた時代でした。76年あたりになりますと、セックス・ピストルズらがイギリスから出現し、いきなりパンクがでてくるのですが。そのはざまの時代でしたから、QUEENには最初からエンターテインメントでいこうという、「オーディエンスを楽しませたい」指向が見えました。
 今なら誉められることなのに、当時はそのエンターテインメント指向が時代の前後、双方のバンド・ファンから軽視される対象になったのです。当時の男性ファンは、QUEENが好きだとカミング・アウトすると、変わり者の烙印を押されたから、なかなか堂々と好きとは言えなかった。その理由が、(フレディのいかにもゲイ好みの恰好と)ここにあります。
 だから、私はQUEENが好きと言える男性を高く評価してきました。
 QUEENの初期のヒットで、永遠のナンバーとなったのが、77年の6作目『世界に捧ぐ』に収録された〈ウィ・ウィル・ロック・ユー〉と〈ウィ・アー・ザ・チャンピオン〉でした。(シングルとしては両A面で発売。なつかし〜)
 この2曲は、QUEENの代表曲というばかりでなく、一人歩きして様々なシーンで使われてきました。
 77年、NYヤンキーズがワールド・シリーズに優勝したときに〈ウィ・ウィル・ロック・ユー〉を使ったのが最初だそうで、以来サッカーや野球など、団体競技大会でよくこの2曲が使われてきた。なにせWEですから、複数/団体の闘志を鼓舞するところがある。  QUEENの意志・意図と無関係に、この2曲が湾岸戦争、イラク戦争時に英米の兵士に好まれ、軍のテーマ曲のように使われたとも聞いています。
 致し方ないのですが、フレディはさぞ天国で驚いていたことでしょう。そんなつもりのWEではなかったはずですから。でも、この2曲という看板ソングがあったから、QUEEN人気が広く永く続いたという良い一面の方が大きかった。
 先にふれたミュージカルでも、タイトルも最終場面も、〈ウィ・ウィル・ロック・ユー〉!これっきゃないでしょ、というわけです。
 QUEENのメンバーが、ビートルズとジミ・ヘンドリックスに影響を受けたと語ったことに、興味を引かれてきました。メンバー4人が皆作曲する点、各自がヴォーカル/コーラスを担当し、それを重視していたこと(ベースのジョン・ディーコンは歌いませんが)、ポップスにクラシックの要素をもちこんだことと、ビートルズとQUEENは共通点も多いのです。
 ジョン・レノンが80年12月8日、凶弾に倒れたことは、QUEENにも少なからず影響を及ぼしました。それ以前は、メッセージ性をもった楽曲はほとんどなかったのですが、81年にデヴィッド・ボウイと共作した〈アンダー・プレッシャー〉あたりから、少しずつ顔を出すようになるのです。
次のページへ>>
▲ Page TOP
< TOP < Previous next >
< 中川ヨウのミュージック・ダイアリー