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引っ越しは、体力的に大変でしたぁ。
プランしていたわけではなく、前の家のライフラインが古くて危険信号を発したので(何せ昭和オリンピックの年に建った家でしたから)、大家さんが建て替えを決められた。そこで、すわっ、引っ越し、となったのでした。
「人生は計画外に起こる事件の積み重ね。だから、面白い」と言ったのは誰でしたっけ。その通りですね。
計画していたとしても、こう早く気に入る引っ越し先が見つかったとは思えません。それに、今回のような家探し→引っ越しまでの、集中力がでたとは思えません。起こることと、それが起きるタイミングを、よい方向への布石だ信じ、丸ごと受けとめようと、今回も思ったことでした。
とは言え、現実はCD整理に、どこから手をつけていいのか迷うばかり。CDの山に埋もれたなかでの仕事と家探しで、ちょっとカオスの日々でした。
でも、こうして片づいてみるとすっきり、いい気分。おかげさまで自分の書斎ももてたので、さぁ心機一転がんばるぞ、という気分になっています。
CDや書籍、洋服や写真の整理をしているときは、優柔不断な私を「団体」で応援してもらおうと、コーラス物をよくかけていました。
まず、 ビーチボーイズ。
夏といえばビーチ・ボーイズです。ビーチ・ボーイズを聴いていると、頭が空っぽになって周りの景色がカルフォルニアに見えてくるから、アラ不思議。若い友人には全部同じ曲に聞こえるそうなんですが、これはちと困る。
お陽気なのが、彼らのいいところでね。私は初めて自分のお小遣いで買ったEP(シングル盤)が、ビーチ・ボーイズと ビートルズでしたから。その60年代以降、あまりおつきあいがなかったのですが、引っ越しとベスト盤登場で、再浮上してきました。
その名も、『サウンズ・オブ・サマー』。世界で200万枚をセールスしたこのベスト・アルバムは、全米チャートを飾った上位30曲という選曲基準が明快です。
いいメロディの曲がいっぱいあるけど、テンポ、こんなにゆっくりだったっけ。このテンポで世界中のティーンが興奮していたなんて、今に比べたらのんびりした時代だったんですね。
7月31日、フジ・ロックに14年ぶりに来日するそうですが、私はライヴは遠慮して(コホン)、このベスト盤で若き日の彼らを聴きます。
ドライヴにも、向くかもしれませんよ。あっ、引っ越ししたから免許証と車庫証明も書きかえをしなくちゃ。

んもー、やることが多すぎて、どうしたらいいのっ。こんな私のあせった精神状態を救ってくれているのが、南アフリカ共和国の音楽大使とでもいうべきアカペラ・コーラス・グループ、“ レディスミス・ブラックマンバーゾ”です。
彼らの大地の歌声には、 ポール・サイモンの『グレイスランド』(83年リリース、全米トップ3位、同年度のグラミー賞では最優秀アルバム賞を獲得)を聴いたときから魅せられてきましたけれど、来日公演でのインタビューがとりもつ縁で、リーダーのジョセフ・シャバララとは「ぺンパル」(手紙でのメル友のことよ)になった仲。
『グレイスランド』発表までは、アフリカに限定されていたレディスミス・ブラックマンバーゾの活動も、その後は世界へと拡がっていきます。
「初めて、ハグした白人がポール・サイモンだった」と、シャバララさんは涙ぐんで話してくれたものですが、過酷な黒人差別があったアパルトヘイト時代のことです。それまでの生涯で、白人とは、握手をする機会もなかったそうなのです。そう、あの元マンデラ大統領も、獄中につながれていたほどですから。
その『グレイスランド』、特に、南アフリカ共和国のダイアモンド鉱山で働く黒人労働者の過酷な日々を歌った「シューズにダイアモンド」や「ホームレス」でのレディスミス・ブラックマンバーゾの貢献に感謝したポール・サイモンは、お返しに彼らの米デビュー作『SHAKA ZULU』のプロデュースをかってでました。そして、その作品が87年度グラミー賞、ベスト・トラディッショナル・フォーク・アルバムを受賞したことから、レディスミス・ブラックマンバーゾは世界中で知られる存在になりました。
リーダーのジョセフ・シャバララは、キリスト教の牧師でもあり、「悪い男にはついていくな」とか「収穫を隣人と分け合おう」といったごく日常的なメッセージから、世界平和を願う祈りまでを歌にこめてきました。
彼らのアカペラ・コーラスの形式は、彼らズール族に伝わるンブーベといいます。リーダーの斉唱にメンバーが続く唱法で、後に奴隷としてアメリカに連れて行かれた人々の間で生き残り、ワーク・ソングやフィールド・ハラーのルーツになったものです。つまり、ゴスペルやブルースの源と言ってもいい歌が、ここにあるんです。
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