雅楽師、 東儀秀樹が上海民族楽団に在籍するエリート中のエリートを自らオーディションして組んだユニット、BAOとの1ヶ月にわたる全国ツアーを、8月8日まで続けています。
BAOとは、中国語でヒョウのこと。ヒョウのように精悍で、超絶テクニックをもつ6人の若者たちに囲まれ、東儀秀樹はアルバム『春色彩華』を完成させました。その音楽から、今までの彼の音楽以上の壮大さ、厚みを感じたので、私もツアーの初め、7月8日、オーチャードホールに足を運びました。
今日はそのときの様子をご報告しましょう。
中国は雅楽のルーツ国(のひとつ)です。コンサートでは、その中国にあって、古典楽器の若き名手である彼ら6人の演奏力に、まず魅せられました。今中国では、子供が生まれると、ステイタスをつけさせる意味合いでも、古典楽器を習わせるんだそうです。だから、古典楽器の演奏人口が、大変多いわけなんですね。(この点が、日本の古典事情と決定的にちがいます。)
BAOはそういった厚い土壌からでてきた、エリート中のエリート。しかも古典楽器と新しい音楽の融合させたいという、東儀と同じ志をもつミュージシャンたちの集まりなんです。
彼らBAOは、TOGI+BAO名義でリリースされたアルバム『春色彩華』でより、ステージでは更に幅のある表現を聴かせました。二胡、琵琶、笛と各楽器の音色の美しさは、極めて高い技術に支えられ、今までに聴いたそれらの楽器の音色と、ふくいくさで一線を画していました。加えて音量を自在にコントロールして生むダイナミクス、楽器を「歌わせることができる」エモーション。
しかもイケメンぞろいとくれば、very fineでしょう。

東儀秀樹はクールに見えますが、その実大変熱い、情熱の人。開幕当初、いつも以上にクールにしゃべっているので、あ、めずらしく緊張しているなぁと感じましたたが、念願が叶う日なんですものね。開幕時の緊張は、当然でしょう。
音楽はごくスムーズに流れ、彼のオリジナル「ニューエイジア」や、唐招提寺2010プロジェクトのために書かれた「蒼き海の道」は、このユニットにぴったりのナンバーでした。可愛い曲「ピュアスマイル」では観客が立ちあがり、手拍子が起きました。
中国曲「タシクルカンの陽光」は、面白かったですね。7/8拍子のリズムが、ユニークで。中国で流行っている曲で、塔吉克族民謡から編曲された曲なんだそうです。メロディも情熱に溢れ、こういった曲を紹介してもらって、中国音楽のイメージが広がりました。
クラシックからはドボルザーク曲「新世界」も演奏し、TOGI+BAOはジャンル・国境という垣根を、いとも軽やかに超えてみせたのでした。
BAOのメンバー一人ひとりが、ソロ演奏を披露したコーナーもありました。前半に紹介された3人の演奏を聴いていたときは、「このパートは必要なのだろうか」と思いましたが、2部に残りの3人が演奏したときには、その上手さ、音楽的な深みに惹きつけられ、その意図がわかってきました。
「皆、平等に」と考えるところが、プロデューサー、東儀秀樹のいいところですしね。
私はクールな外観の、ツァオ・レィー(二胡)がお気に入りでしたね(ちょいKINKIの光一似)。彼がロシア民謡の「ダーク・アイズ」を演奏したとき、まるで二胡とダンスを踊っているようで、その妖艶な姿と音楽から、目が離せませんでした。

今回のTOGI+BAOのコンサートで感じたのは、音楽が真にインターナショナルな言語だということと、音楽を通じてひとつになれるという、彼らの音楽が伝えくる楽観でした。
ここ数年、中国と日本の関係がぎくしゃくしていますが、小泉首相の靖国参拝問題にとどまらず、日中戦争から第2次世界大戦で日本がしたことへの怨恨は中国の人々の日常に根深く残っています。(私は、靖国神社とは別の、平和を願う『モニュメント』を作った方がよいと今は思っています。靖国神社が、今でもあの戦争を侵略戦争と認めていないことが、問題のひとつの根源になっています。もっと開かれた『祈りの場』が必要なのではないでしょうか。)
10年近く前のことになりますが、北京に行ったときに、「南京大虐殺展」という展覧会を天安門広場近くでやっていたんです。今年もまた終戦の8月に、開催されるそうです。連れのジャーナリストたちと行ったのですが、私たちに向けられる中国の人々の厳しい視線が、刺さって、痛かった。
展示された写真を見ていくと、事件を起こした軍人の名前も明記され、裸にされた中国女性の正視に耐えない写真も展示されていましたが、戦後南京を訪れ、頭を垂れた日本人の写真も展示されている。(その後ここ数年で、虐殺された中国人の人数、中国の教科書に載せられた写真に誤りがあることが日本の研究者によって指摘されています。そうであっても)思っていた以上に、「公平」な視線に立った展示でした。
こういうことをしてしまったんだ、という痛みと反省は、私たち皆が背負っていかなければならないものだと、そのときも感じました。「国がしたことだから私たちには関係ない」という態度は、あってはならないものでしょう。
私たち日本人は、良くも悪くも忘れっぽいですからね。「人の噂も七十五日」ということわざが、それを証明しています。「神」という絶対的な「善」の概念が希薄で、それより「世間の目」が大事に思われてきたことが、このことわざでわかります。
でも、他の国の人々も私たちと似た考え方をすると思うと、世界の人々と友人にはなれません。国がしたことは、個人の問題とは時間の流れ方が異なり、100年単位で考えなければいけないと思うのですが、どうでしょうか。
中国の人々が今もっている反日感情には、(日本の教科書の第二次大戦に関する記述の問題とは別に)中国の教科書が教えてきた、日本をはっきりと敵対視する「現代史」が中国の若者たちにインプットされていて、それが大きな影響を与えている側面もあるようです。教科書の内容は80年代に一度、2001年に再度改善されたということですが、(他の要因も大きかったとはいえ)反日デモを起こした年代層が受けた教育が、そういうものだったと聞くとき、教育、報道の影響の大きさも思わずにはいられません。
でも、そういった諸々の問題を超えて、私たちは真に理解し合えるんだという「明るい予感」が、BAOのステージから聞こえてきたのです。
個人レベルの理解、相互リスペクトが可能なのですから、それを広げられないはずがない。このことが、このコンサートで最も励まされたことでした。中国から日本がゆずりうけた豊かな文化を想う、そのリスペクトの気持ちをこちらがもたないと、不可能なことだったのかもしれませんが。
「憧憬」にも似た、敬意をもちながら共演した東儀秀樹の姿勢が、すべてを「美」に導いたのでしょう。もし彼が、中国古典楽器を「使ってやろう」といった上からの視線を少しでももっていたら、このハーモニーは生まれなかったはずなのです。

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