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「ボーイズ・ビー・アンビシャス!」と言ったのは、札幌農学校初代教頭、ウィリアム・S・クラーク博士です。クラーク博士が札幌農学校に籍を置いたのは、明治9(1876)年7月から、たった8ヶ月だったそうですが、帰国に際し馬上から発したのがこのことばでした。
「青年よ、大志を抱け」という名訳がついて世に広まるのは、第二期生の内村鑑三をはじめとする生徒が、書籍や講演で語り継いだからでしたが、私たち日本人は「アンビシャス」というと、それがただの野心を指すのではなく、高い志をもつことだということを、このクラーク博士のすり込みのおかげで知っているわけです。
こんなことを書くのには、理由があります。パット・メセニーが、『ザ・ウェイ・アップ』以降初めての作品に、完全盤『ソング X 〜トゥエンティース・アニバーサリー』の発表を選び、今後4枚の作品の完全盤をリリースしていくことを決めました。そのシリーズを、今仮に「アンビシャス・シリーズ」と呼んでいるからです。
パット・メセニーは、前作からノンサッチ・レーベルに移籍したことを、手放しで喜んでいます。それはノンサッチ・レーベルが、現代音楽の大家でパットとも共演経験があるスティーヴ・ライヒから、ユッスー・ンドゥールまでをかかえる、高い音楽性をもったレーベルであること。そしてノンサッチの社長、ロバート・ホーウィックが、パットが初リーダー作『ブライト・サイズ・ライフ』(75年)からゲフィンに移籍するまで在籍していた、ECMレーベルのクリエイティヴ部門で働いていた、30年来信頼してきた友人だからです。
つまり、ホーウィックとメセニーが一緒に仕事をするということは、コマーシャルな成功など気にかけず、やりたいことをやりたいようにやることを意味するのです。

パットは、実にアンビシャスな音楽家です。「野心家」というのではなく、先に述べたように高い志をもっている人です。ここで再び、彼が前作『ザ・ウェイ・アップ』のインタビューで語ったことを書き留めておきたいと思います。
「プロになって30年を数えるが、その間に手にした賞やお金は、ぼくにとっては大きな意味をなさない。ぼくの至福は、唯一、自分が考えた音楽のイメージがそのままサウンド化されることなんだ」。
ステージ衣装がジーンズ、スニーカーにボーダー・シャツと、デビュー以来30年間変わらないのも、洋服のことを考える時間があるんだったら音楽に当てたいからだといいます。20歳代の若い時分から、周りがどうあろうとも、お酒も煙草もコーヒーものまずにきたのは、それが音楽にプラスになるとは思えなかったからだと振り返るパットです。
「目指す音楽家」という話をしていたときには、最も敬愛するマイルス・デイヴィスの名前が挙がるかと思ったら、「志としては、バッハのような音楽の高みを思う」と(幾分、遠慮がちに)話していましたっけ。
この彼の発言は、決してインタビュー用に用意されたものではありません。彼が全身全霊を音楽に捧げている、その志とストイックな生活態度をついしゃべってしまった、それをまとめてお伝えしているだけなのです。

さて、本題、『ソング X』に入りましょう。これは、パット・メセニーが尊敬してやまないフリー・ジャズの創始者、オーネット・コールマン(1930年3月テキサス州生まれ)との共演を果たした、85年録音の作品です。しかも、ゲフィンというアメリカのメジャー・レーベルに移籍した、第1弾。それがフリー・ジャズの祖との共演作になるとは、誰も予想しませんでした。
今ではよく理解されているパットの多面的な音楽性も、当時はECMから発表された透明度の高い諸作の印象しかなかったわけです。聴き手にとっても、衝撃作と受けとられたアルバムでした。オーネットが世に出たとき、批判の嵐にあったのとは異なり、今作でパットは「おおっ、こんなこともやるのか」と、大いに名を上げました。
本作が音楽的に難解だと感じた聴き手も、賞賛だけは惜しまなかったのです。
パット・メセニーというギタリストは、個人の活動では、このオーネット・コールマンをはじめとする尊敬する先人と共演することで実力を伸ばしてきた人です。ハービー・ハンコックという(彼をミュージシャンとして多大にリスペクトしてもいる)マイルス・デイヴィスにたどり着く人脈と(マイルスとの共演はついに叶わなかった)、『ソング X』で叶うオーネット・コールマンにつながる人脈を、そのなかでもことのほか大事にしてきました。
パットがオーネットを熱愛するようになったのは、2枚組の大作『80/81』(80年)で共演した(オーネットの仲間である)デューイ・レッドマンや、(共演者だった)チャーリー・ヘイデンの影響だったと言われています。そして同作で、オーネット作曲の〈ターンアラウンド〉をレコーディングしたのでした。
『80/81』で音楽の幅を確実に広げ、ジャズ・シーンでその評価を確立したパットは、音楽的にオーネットに接近していきます。『リジョイシング』(83年)で、再びチャーリー・ヘイデンと、オーネットと関係の深いビリー・ヒギンスをドラマーに迎えたトリオで録音に臨み、オーネットの曲を3曲もレコーディングしたのです。
ですから85年12月に本作のためにスタジオ入りしたときは、パットは既にオーネットが提唱する「ハーモロディック理論」の賞賛者、よき理解者となっていました。
そのパットに、信頼を寄せたオーネット・コールマン。そこにパットとも親交を深めていたチャーリー・ヘイデンが加わり、ドラマーにはジャック・ディジョネットと、オーネットの息子で、彼が70年代に結成したエレクトリック・バンド、プライム・タイムのドラマーでもあるデナード・コールマンの2ドラムでレコーディングが行われました。ニューヨークが寒さで凍てつく、年の瀬のことでした。

パットが当時を振り返りながら、本作『ソング X 〜トゥエンティース・アニバーサリー』について、次のように語りました。
「『ソングX』はゲフィンへの移籍作としてリリースしたアルバムで、レコーディングに2日間、その後の選曲やミックス、マスターまでを入れても数日しかないという、厳しい時間的な制約の下、制作したものだ。そのため、後々まで時間がもう少しあれば、ああもできたんじゃないか、こうもしたかもしれないという、逡巡を残すことになった。特に、全体のサウンド面で、その想いが強かったんだ。
だから今回、20年後に想いが叶って完全盤を出すということになったとき、オリジナル盤での選曲には満足したものの、ミキシングとマスタリングを全面的にやり直したいと思った。それに、85年当時のことを思い出してほしい。まだ世の中ではLPが主流で、CDはその補助的なメディアに過ぎなかった。だから、録音時間もLPで可能な48分、6曲を収録した。でも、今なら1枚のCDにより多くの曲を収録することができる。と、ぼくは6曲の未発表曲をここに収めることにした」
その未発表曲が、本作の冒頭から6曲続くというのですから、ファンとしても興奮を抑えられません。ぼくもだと、パットが次のように続けました。
「この6曲を収録したことで、レコーディングが完了したという想いを今、かみしめている。未発表6曲のうち〈ポリス・ピープル〉と〈ザ・グッド・ライフ〉は、オーネットの素晴らしいメロディにのって、従来の慣例的なコード・チェンジに新たな提案を加えた曲だ。こういったストラクチャーをもつオーネットの演奏がどれほどめずらしく、美しいことか。それ以外の4曲では、オリジナルでは聴かせ切ることができなかった、バンドがソロをとるという代表者もいない世界に一体となって突入する、そのドキュメントを楽しんでもらえたら本望だ」
時が印象を変えたのでしょうか。
2人がユニゾンで奏でる〈オール・オブ・アス〉から〈ザ・グッド・ライフ〉の流れなど、後者のカリプソ風リズムも手伝って、踊りたくなるような楽しさです。
〈ポリス・ピープル〉でのオーネットとパットのソロの素晴らしさ。20年前に差し出されたものより、ぐっと聴きやすい印象があります。渾然一体となった既発表の4曲では、その音楽のうちにオーネットが提唱するハーモロディックな秩序が聴こえ、そこに既存の音楽を変革する勇気やユーモアまでをも聴き取ることができるのです。
パットは、それをこう言いました。
「20年前、オーネットとぼくは、ぼくたちが本作の完遂地点をどこに求めるかという話し合いに、多くの時間をとった。今までのどの作品に似ていない、独自な音楽を目指そうと話し合ったんだ。20年前の『ソング X』でも、ある程度はその意図を遂げられたとは思っている。でも、やっと今、この20周年記念盤で、本来の全体図と努力を提示できた、完遂できたとうれしく思っているんだ」

音楽的な見地からみると余談になりますが、パット・メセニーは、85年にゲフィンと契約した時点から、原盤は自分でもっています(自分の音楽を守るためにそうしたと語っています)。そのためレコード会社が変わっても、以前のレコード会社からの作品を自らの意志で再発表することができるのですね。
本作がいわゆる「再発」ではないことは、曲目リストを見、音を聴けば一目瞭然です。今、ノンサッチだからできるプロジェクトとして、パットの全体像を私たちはこれから見ることになるのかもしれないません。
「アンビシャス・シリーズ」(仮)には、今の段階では『スティル・ライフ』(87年)、『レター・フロム・ホーム』(89年)、『ウィ・リヴ・ヒア』(94年)、『クアルテット』(96年)がリストアップされています。ファンの誰もが気になる、ヒット作の名前が連なっています。
聴かせ切ってない、もっと聴かせたい音があると、パットが完全盤のリリースを希望している作品群です。
このプロジェクトと並行して、パット・メセニーの頭のなかでは、メセニー・グループの新作にむけてのリサーチが進められているにちがいありません。
『ソング X〜トゥエンティース・アニバーサリー』は、聴き手の「志」を燃え立たせる、火種になることが本望なのでしょう。パットは、この作品を聴いて、自分自身の「志」を燃え立たせているのではないでしょうか。
「レッツ・ビー・アンビシャス!」
そう、音が語りかけてくるようです。
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