イタリア生まれのアルト・サックス奏者、フランチェスコ・カフィーソのことを、ウィントン・マルサリスは「イタリアで見つけた宝石」と言い、ハリー・アレンは「これほど若くて才能にあふれたプレイヤーは、見たことがない」と話してくれました。
そう、フランチェスコ・カフィーソはまだ16歳なのです。この秋リリースされた彼の日本デビュー・アルバム『ニューヨーク・ララバイ』を、ジャケット写真を見ないで聴いたら、誰が彼を16歳だと思うでしょう。でも、フランチェスコはふくいくたるアルトの音色とテクニック(加えてキュートな美少年ぶり)で、イタリア・ジャズ界では既に「スター」、米ジャズ・シーンでも「ライジング・スター」として認知され、将来を楽しみにされている逸材なのです。
今日は、そのフランチェスコの初来日が決まったので、彼のことをいち早くお知らせしましょう。
まず先に、来日情報をお知らせしておきます。
11月5日、6日に銀座をあげて行われる 「第1回ギンザ・インターナショナル・ジャズ・フェスティバル2005」に出演するのです。この銀座生まれのジャズフェスは、多くの特設会場や、シャネル、バーバリーのホールを利用し、各ブランドの起源である5ヵ国のミュージシャンが結集するというもの。
日本からも楽しみな若手が多く出演しますから、銀ブラでジャズとしゃれてみてはいかがでしょう?
なかでも、フランチェスコ・カフィーソのアルト・サックスには、きっと大いに魅せられることと思いますよ。

では、『ニューヨーク・ララバイ』が誕生したきっかけから書きましょう。
フランチェスコ・カフィーソが、2005年6月21日から26日まで、NYの新名所となっている(タイム・ワーナー・ビルに移転した)リンカーン・センター内のジャズ・クラブ「ディジーズ」で公演を行いました。デヴィッド・ヘイゼルタイン(p)、デヴィッド・ウィリアムス(b)、ジョー・ファンズワース(ds)というというベテランたちを迎えた、フランチェスコの「NYカルテット」での演奏。
イタリア人ジャズ・ミュージシャンが看板をはって、NYで1週間公演するのはこれが初めてだそうで、イタリア、ウンブリア・ジャズ・フェスティヴァルの創立者でディレクターでもあるカルロ・パグノッタは「この快挙を成し遂げてくれたことは、イタリア・ジャズ界にとって記念すべき出来事だ」と語り、カフィーソ本人も5月、私がオーストラリアのジャズ・フェスで会ったときに「興奮している。アメリカではNYが一番好きな街なんだ。全身全霊をこめて演奏します」と、自らに誓っていました。
この期間は、JVCジャズ・フェスティヴァルが開催される時期と重なっていたため、観客の動員を心配する向きもあったのですが、杞憂に終わり、「ディジーズ」に足を運んだ観客は、演奏が進むにつれてフランチェスコの外観や年齢を忘れ、彼の演奏と、4人が繰り広げる世代も国境も超えたジャズの会話を楽しんだのでした。
本作『ニューヨーク・ララバイ』は、「ディジーズ」での公演があった1週間のうち、なか日と楽日をあて、同じメンバーで録音されました。彼らの演奏レパートリーから、原哲夫プロデューサーが9曲のスタンダードを選曲、スタジオ収録したものです。
フランチェスコ・カフィーソには、イタリア盤で既に3枚のライヴ・アルバムがありますが、本作が彼にとって記念すべき初スタジオ録音作になったのです。

フランチェスコ・カフィーソのアルト・サックスは、まずサウンドが素晴らしい。小柄な体躯なのに音が大きく、テクニックも自然で、即興のアプローチにも成熟したものを感じさせます。低音から高音へと自在に昇っていくときのさまは、音に翼があるかのよう。また朗々とメロディを歌い上げるときには、イタリア人らしく「歌うこと」へのリスペクトをもって、聴き手を惹きつけていきます。
超絶技巧の曲も得意ですけれど、この日本デビュー作『ニューヨーク・ララバイ』では、彼の歌心に魅せられた原プロデューサーの意向で、テクニックよりは歌心に焦点を合わせて選曲がなされています。とはいっても,随所でバカウマ・テクが披露されていますから、その点も充分に楽しめるでしょう。
先にふれた、フランチェスコのイタリアで発売された3枚のライヴ・アルバムでは、この作品ほどの成熟を感じさせることはなかったから、これも彼が、赤丸急成長中だということの証でしょうね。

さて、彼はいったいどこから、どんな経路で、私たちの前にやってきたのでしょうか。
フランチェスコ・カフィーソは、1989年5月24日、イタリア、シチリア島のヴィットリアという小さな町で生まれました。両親と6歳上の姉に可愛がられて育ったとはいえ、とりたてて音楽的な環境にあったわけでもないのに、7歳のときにサックスの勉強を始めました。
「何か、楽器が習いたいと親にねだったんだ。よい先生がいるからと、サックスを習うことになった。初めからジャズ。基礎をやり、主にスタンダードを学びました。クラシックの勉強はしていません。アルト・サックスに出逢えたことが、ぼくにとって何より大きな幸せでした」
もしかしたら、サックスの演奏を難しいと思ったことがないんじゃない? 私は、恐いモノ見たさで聞いてみました。ソニー・ロリンズや、ジャコ・パストリアスといった特別なミュージシャンたちが、楽器を習い始めてすぐにプレイできた、演奏を困難だと思ったことはないと話してくれたことがあったからです。するとフランチェスコは、いけないことを知られたとでもいう顔つきで、「難しいと思ったことはない」と首を横に振りました。
「初めてサックスを手にした日の楽しさは、今でも覚えてる。あ、でも、自分が上手いと思っているわけじゃないんだ。ミュージシャンなら誰でも上手くなりたいし、そのために練習するのは当然です。ぼくも今日よりは明日、明日よりはあさっての方がうまくなっていたいと思うから、練習に励んでいます」
尋常ではないフランチェスコの上達に注目した最初の人は、地元のサックスの先生でした。そして9歳のときには、もうフランチェスコはイタリアのジャズ・フェスティヴァルのいくつかに登場するようになり、初めての賞である「マッシモ・アルバーニ・ナショナル・アワード」を受賞しました。
フランチェスコが「尊敬し、音楽上の父だと思っている」と語るウィントン・マルサリスと出逢ったのは、2003年7月、ペスカーラのジャズフェスでした。同じく早熟の演奏家だったウィントンは、フランチェスコの才能をいち早く見抜き、そのときのヨーロッパ・ツアーに彼を伴ったのです。
「素晴らしい体験だった。それも、1週間とかじゃなく、1ヶ月もの長い間だったから、ぼくはウィントンから様々なことを教わった。昔のブルース、本のなかを探しても生きたジャズはないこと、先輩たちとの共演の機会を大事にすること。音楽のことは、どんなことでもとてもていねいに教えてくれた。一緒にステージに立たせてもらい、プレイした後、出来があまりよくないとホテルに戻ってから練習をつけてくれた。その父親のような温かさにすっかり大好きになって、ツアーが終わるときには大泣きでした(と涙ぐむ)」
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