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嶋津健一の、官能と情感のバラード集 [2005.11.14]
嶋津健一トリオ「オール・カインド・オブ・バラード〜ハーマン・フォスターに捧ぐ」
ローヴィング・スピリッツ
RKCJ-2016
2005/10/19発売
※権利者の許可を得ずに、複製することを禁じます。
 私には、ピアニストで好きな人が何人かいますが、嶋津健一さんはとりわけ好きですね。
 彼のピアノが深い情感を伝えてくるから、どんな人かと近づいてみたら、論理的な話し方をする。聞けば、「東大卒」!思考がエモーションを凌駕することがない彼のピアノからは、想像だにしない学校名でした。
 嶋津さんのピアノは、「歌伴」ではシンガーに寄り添い、主役に光を当てます。伝説のシンガーと呼ばれているジミー・スコットのもと、1989年から1994年までピアニスト/音楽監督をつとめた嶋津さんですから、シンガーが歌いやすいように弾き、自分がその前には出るようなことはしない(ぼく、うまいでしょ?というピアノを弾く人は、五万といます)。でも、きっちりピアノで観客の心をつかむという、ある種アンビバレンツな役割を、ごく自然にこなしてしまう人なんです。

 また、詩や絵画との異ジャンル・コラボレーション。あるいは『シンメトロフォビア』(2000年録音)といったジャンル不問のアルバムでも、彼がピアノに向かうとき、いつもそこには嶋津さんらしいエモーションがありました。
 「東大卒」で驚いている場合ではありません。
 よく考えると、嶋津さんは日本のフツーのピアニストとはずいぶん違っていました。日本のジャズにはヒエラルキーがあって、一番エライのがモダン、フリーや「難かしい音楽」も高い位置にあり、楽しい様子の音楽ほど地位が低くなるんです。
 スウィング・ジャズや歌の伴奏など、その最たるもの。ウィズ・ストリングスにいたっては、弦とやりますから、「ヒモつき」と呼ばれる有様です。
 日本にいる以上、ジャズ・ミュージシャンたちもその傾向を、肌で感じとるじゃないですか。だから、この国ではシンガーの伴奏が素敵にできるピアニストは、ほんの一握りしかいないんです。
 ジミー・スコット(1925- )が初来日を果たした1993年、数回にわたってインタビューする機会があり、ピアニスト、嶋津健一についても聞きました。ジミーさんは、嶋津さんについてこんな風に、しみじみと語ったのです。
 「イイだろう? 歌の意味をよく解っているピアノを弾く。『歌』をつかまえるには、年季とは別の何かが必要なんだ。人としての、優しさだろうか。音楽に対する謙虚さというのか。ま、いずれにしろ、彼は年老いた私を、音楽的に置いてきぼりにしたりしない。彼がピアノなら、私は安心してステージに立てるのさ」
 嶋津健一、『ダブル・ダブル・ベース・セッション』以来2年ぶりの新作がバラード集になり、それがハーマン・フォスターに捧げられると聞いて、実は私、ちょっとあせりました。音楽ジャーナリストを生業にする私が、そのハーマン・フォスターを知らなかったもので。(だから、あなたが知らなくても、ちっともおかしくないというわけです。)
 一夜漬けで調べた資料と、嶋津さんに教えてもらったことを、ここに書いておきますね。

 ハーマン・フォスターは、1928年5月18日、ペンシルバニア州フィラデルフィアに生まれた。生まれながらの全盲で、ピアノも独学で習得した。嶋津が出逢ったときは50歳代だったが、だからそのときでも、ピアノを弾くときに親指をくぐらせる弾き方をせず、掌に卵をいれたように弾くのも教えも受けていないため、手も平べったいままだった。
 ハーマンが最も影響を受けたピアニストは、ミルト・バックナーだという。ハーマンはアフリカ系で、太っていて、背は(記憶によれば)嶋津さんと同じくらいだった。
 53〜55年は、〈アリゲーター・ブーガルー〉(67年)の大ヒットでも知られるルー・ドナルドソン(as)のグループに参加。50年代後半は、ハーレムを舞台に活躍した。60年代初期には、自身のトリオでエピック、アルゴ両レーベルにレコーディングを残している。60年代後半以降は第一線から退いていたが、80年代初頭、再びルー・ドナルドソン・カルテットに加わり、復帰を果たした。
 それ以降は、その個性あふれるピアノで、ハーレムのクラブを中心に、自己のトリオやドナルドソンのグループで、1999年に脳梗塞で亡くなるまで音楽活動を続けた。
 嶋津健一さんがハーマン・フォスターのピアノに惚れ込んだのは、ジャズ・ピアノを極めたいと留学した、ニューヨークでのこと。一耳惚れだったそうです。以来、彼が出ていると聞くと、可能限り聴きに通いつめ、いつしかハーマンのトラ(代役)を弾くこともできる、超不思議なファンになっていました。

 嶋津健一さんは、ハーマン・フォスターに捧げる作品を、実はもう1作用意している。2005年6月5日、レコーディングに臨んだ彼に、ハーマンのスピリットが降りてきたんでしょう。豊かな泉のように佳い演奏が湧きいで、その結果、1作をバラード集に、もう1作をアップ・テンポの曲でまとめることが決まりました。
 だから、このバラード・アルバム『オール・カインド・オブ・バラード~ハーマン・フォスターに捧ぐ』を聴くときに、ハーマンにも多面的な魅力があったはずだなどと、悩む必要はないんです。ひたすら、ここにある濃密なロマンティシズムを堪能してくださればいいのです。

 ただ、この『オール・カインド・オブ・バラード』には、マズイことがあって。あまりの歌心、泣きたくなるほどの深い情感に、忘れていた恋心がむくむくと頭をもたげ、聴くたびに恋の病にかかるんですね。
 実際の対象もいないのに、このアルバムをかける度に恋しくて、恋しくて、苦しくなる。そんな症状を、あなたにも、もたらしかねないアルバムなんです。
▲手前:ピアノ・嶋津健一さん、奥左:ドラム・岡田佳大さん、奥右:ベース・加藤真一さん。
▲レコ発のコンサートで(愛用のサイバーショットを忘れたので、携帯のカメラで失礼!)
 嶋津さんは、バラード好きのピアニストだと言っていいと思います。ステージでは、プログラムの半分をバラードが占めます。 その理由のひとつは、数曲アップテンポの曲が続いた後にスローな曲を演奏するという、クリシェな流れへの反発。もうひとつが、バラードの様々な魅力を聴き手に届けたいからだそうです。
 「バラードと言っても広うござんす」と、嶋津さんが言いました。ハイ、その通り言ったんです。
 冒頭の〈モア・ザン・ユー・ノウ〉はヴァースから入り(何て美しいピアノだろうか)、2曲目がスロー・ボッサ。〈ラヴ・ウォント・レット・ミー・ダウン〉はロック・バラードです。
 〈サンデイ、マンデイ・オア・オールウェズ〉は、フェルマータ(休止)を活かした演奏で。この曲でのドラマー、岡田佳大はまるでメロディと歌詞を歌っているようじゃありませんか。レコ発ライヴで見て、驚きました。すごく、ミュージカルなんです。アート・ブレイキーに誘われ84年に渡米したという経歴も、納得しました。
 他にもスロー・ブルースあり(嶋津さんが醸しだすブルース・フィーリングはかなり濃い)、全編ルバートでと、なるほどバラードといっても一色でない。
 このアルバムのパレットに並んだ色とりどりのバラードに、心を動かされています。トリオのメンバー、3人3様の物語が、音楽への献身によってひとつの調和を生むものだから、こちらの心も徐々に開いていくんでしょうね。
 もしそれが涙を伴ったとしても、浄化の涙にちがいなく、実際に涙を流さなくても、このバラード作を聴くことは、泣くのと同じようなカタルシスを聴き手にもたらすでしょう。
 嶋津健一が、ハーマン・フォスターから教わった「自分をさらけ出すことからすべてが始まる」ジャズの姿勢が、ここで踏襲されているわけなのです。
 先ほど少しふれましたが、嶋津さんからトリオのメンバーについて、一言ずつ話してもらいましょう。ちなみに、「トリオの基本コンセプトは、3人の位置関係を固定しないこと」だそうです。
 ベースの加藤真一さんについては、「ぼくが投げかけたメッセージに対して、自分の感性のポケットに収めた後、深いところから返してくれる。ベーシストであってもサポートにとどまらず、ピアノと対等の立場で演奏する。個性的な語り口をもっている方です」  ドラムの岡田佳大さんは、「ぼくが知っているなかで、最もドラムをメロディックに叩く人。リズム楽器のはずなんですが、彼にかかるとドラムが歌うんです」

 楽器で歌える3人だからこそ、生まれたバラード・アルバム『オール・カインド・オブ・バラード~ハーマン・フォスターに捧ぐ』。
 3人の個性が、ハーモニーを生んでいる点も、聴き手にとっては幸運でした。彼と個性とは何だろうとという話をしているときに、彼が言いました。
 「個性とは、内面の豊かさが抑えようとしても表にでてしまうことではないでしょうか」
 その意味で、嶋津さんも、ハーマン・フォスターも、このアルバム制作に関わったすべての人が個性的でした。

 官能とロマンをたたえた作品『オール・カインド・オブ・バラード~ハーマン・フォスターに捧ぐ』が、ハーマン・フォスターを訪ねる旅に、連れ出してくれました。
そして、聴いているうちに「恋の病」にも罹患しました。
 世の中は、風邪が流行っているというのに、私は人知れず、恋の病にかかっています。
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