中川ヨウのミュージック・ダイアリー

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ハリー・コニック,Jr.、ニューオリンズへの愛と感謝をこめて

[2007.03.23]
「ハリー・コニック,Jr.が好きなものを3つ挙げろ 」というクイズがあったら、わたしは迷わず「お母さん、音楽とニューオリンズ」と答えます。ハリーは、若くして亡くなったお母さんに、1987年のデビュー作からすべてのアルバムを捧げてきたほどの、お母さんっ子。音楽は言わずもがな(でも後でふれましょう)。そしてニューオリンズは、ハリーの生まれ故郷なのですから。

 でも、ニューオリンズはハリーにとって、故郷という以上の意味をもっているようなのです。なぜなら、ジャズ発祥の地でもあるからです。
 なぜニューオリンズでジャズが生まれたか、ちょっと書いておきましょう。アメリカが独立する前の同地は、フランスに統治されていたため、カトリックの信仰により、(プロテスタント系が統治した場所より)比較的強制移民労働者に対する規制がゆるかったんです。「日曜日のコンゴ広場だけで」ではありましたが、「音楽をする自由」がアフリカ系の人々に許されていたのです。歴史的にも立地的にも様々な文化がガンボ (ごった煮) のように混ざりあい、ぶつかりあうニューオリンズだからこそジャズが生まれたのですし、その後も様々な音楽が混在し、生活のなかで生きている街として、ニューオリンズは世界に愛されてきました。

「NOLAっていうのは、ニューオリンズ、ルイジアナ州の頭文字なんだ」
 そうハリーが今作について話し始めたとき、故郷への愛と感謝が彼を突き動かしたことに思い至りました。彼はこの新作『オー・マイ・NOLA』は、ニューオリンズへのトリビュート作なのだと言いました。自身のビッグバンドを従え歌った、ニューオリンズにちなんだ楽曲の数々。
ここから聴こえてくる音楽が多様なのは、ニューオリンズの音楽が多彩だからなのです。ジャズ、ニューオリンズ・ファンク、ゴスペルにR&B、カントリーまで、ニューオリンズに息ずく様々な音楽。それにふれ、浸り、育てられて今のハリーがあります。

「ぼくは毎月ニューオリンズに帰っているんだ。そう、あのハリケーンがあってからというもの、ぼくがどれほどこの街を愛していたかを思い知ることになった」
 私たち日本に住む者だって、ハリケーンによってこうむったニューオリンズの被害を忘れてはいません。ニューオリンズを含む南部一体がハリケーン、カトリーナの猛威により壊滅的な被害を受けたのは05年8月末のことでした。ポンチャントレーン湖につながる運河堤防が決壊し、ニューオリンズは市の陸上面積の8割が水没。ルイジアナ州だけで約1500人の死者がでました。
 避難命令がでていたのですが、移動手段をもたない高齢者や低所得者が取り残されたためでした。罹災後の街は混乱を極め、ライフラインが完全に麻痺し、被災前に46万人を数えた同市人口は、半年後の調査で19万人弱と6割も減りました。住む場所がなく、生活基盤の回復も進まないため、戻りたくても戻れない人が多かったからです。
 暮らし易さから「ビッグ・イージー」と呼ばれた街が、一日にして変貌してしまったのでした。

 でも悪いことがあれば、必ず善いこともあるものです。世界から、それも多くの個人から支援が寄せられたのです。そのときハリー・コニック,Jr.も先陣を切って、故郷のために立ち上がりました。兄とも慕うブランフォード・マリサリスとともに「ハビタット(住宅)・フォー・ヒューマニティ」の名誉会長に就任し、被災以来多忙な時間をやりくりして救済のための活動にあたってきました。経済的な理由でニューオリンズに帰れない人々のために、「ミュージシャンズ・ヴィレッジ」を建設する計画を立てたのです。

 私財を投じただけではありません。ブランフォードとのデュオによる(ハリー名義)『オケージョン』をリリースした直後でしたから、2人してトーク・ショーやラジオに出演し、支援を呼びかけました。そういった細やかな尽力のかいがあって、06年5月にまず最初の3軒の家が建ったときの2人の喜びの報告を、わたしは今も忘れられません。
 今年の2月にハリーが言いました。
「30軒、家が建ったよ。もうすぐ40軒になる。街に活気が戻ってきた。そりゃ徐々にではあるけれど、こんなにうれしいことはない。帰るたびに人々と話し、励ましあっているんだ。ミュージシャンズ・ヴィレッジの中心に、ブランフォードの父親で、ぼくのジャズの先生であるエリスの名前をとって、エリス・マルサリス・センター・フォー・ミュージックを建てる。そこで音楽を次世代に手渡していきたいんだ。音楽も食もマグノリアの花 (州花) も木々も、あんなに美しい街はそうないからね。きっとまた多くの人が訪れるようになるさ。ニューオリンズは再生し始めたんだ。きっとぼくらはやれるよね」
 ハリーのポジティヴなことばに、わたしは感動し、でもここで何か面白いことを言うのが礼儀だと思って、アルバムに収められた曲名を答えにしました。

「Yes, we can can.」
 ハリー・コニック,Jr.は、そのニューオリンズで1967年9月11日に生まれました。父親は地方検事、母親は判事という法曹一家でした。でもお固い家というわけではなく、ジャズファンの父親がレコード店を経営していて、聴き放題。それ以前にも3歳でピアノを弾き始め、5歳でピアノを習い始めるや自分でも作曲したというのだから驚きです。
 父ハリー・コニックのレコード店でジャズやニューオリンズ・ファンクを聴き漁り、生涯唯一スランプに陥ったのは、デューク・エリントンとセロニアス・モンクを聴き太刀打ちできないと思った9歳のときだったそうです。
 その頃からハリーは、地元ではちょっと知られたジャズ・ピアニストでした。父親がハリーを連れてくり出すバーボン・ストリートのクラブで、プロのミュージシャンの演奏に飛び入りして、メチャ受けしていたからです。その頃の様子は、スターになってから発表された『11(イレヴン)』に収められています。
 その後18歳でNYに赴くまで、エリス・マルサリスにピアノを師事し、NOCCAでみっちりとジャズの基礎を学びました。

 アルバム・デビューを飾った『ヴォケイション』(87年) が、ピアニストとしてだったことは、今はもうあまり語られないようです。それほどハリーの甘くスウィングする歌声が、広く深く浸透したからでしょう。ビッグバンドとの初共演は、彼の3枚目のアルバムである、映画『恋人たちの予感』(89年) のサウンドトラックでしたが、今のハリー自身のビッグバンドが形作られたのは、91年にリリースした『ブルー・ライト、レッド・ライト』録音前のことでした。
 そのときから既にネッド・グールド(ts)、リロイ・ジョーンズ(tp)、ルシアン・バーバリン(tb)といった現在の主要メンバーが在籍しているんです。彼の慧眼に敬意を覚えるのとともに、どんな人とも永くつきあうハリーの気質を見る思いがします。ちなみにデビューからマネージメントもレコード会社も変わらないスターは、わたしの知っている限りハリーだけです。
 ハリーは本作を、第60回トニー賞 (最優秀リバイバル・ミュージカル作品賞) を受賞したブロードウェイ・ミュージカル『パジャマ・ゲーム』公演終了直後にレコーディングしました。2006年2月から6月までアメリカン・エアラインズ劇場で続いたロングラン。ハリーにとっては初めてのミュージカル出演で、それも主役だっから、さぞ喜んでいるだろうとお祝いの電話を入れたら、「もうビッグバンドとスタジオ入りしているのよ〜」というマネージャーの返答に、耳を疑いました。
 ハリーに話してもらいましょう。
「ミュージカルも楽しかったんだよ。でも待ち時間がふんだんにあるでしょう。そこで楽屋にキーボードとPCを持ち込んで、このニューオリンズ・トリビュート作の準備をしていたんだ。アレンジに腐心し、書き下ろした新曲に手を入れたのも楽屋だった。レコーディングはたった4日間ほどだったと思うよ。事前準備とミックスに時間がかかるんだよね。でもビッグバンドが今絶好調だし、ニューオリンズにちなんだ曲を、ニューリンズのさまざまなスタイルで皆さんに紹介できると思うと、ずっと楽しくてね。ぼくとおなじくらい皆さんが楽しんでくれたら、本望だ」
 ニューオリンズが生んだ大才能、ルイ・アームストロングが(チャートを独占していたビートルズをぬいて)64年に全米第1位にした〈ハロー・ドーリー!〉。そんなおなじみの曲から、ニューオリンズに伝わるナンバー、今回書き下ろされた〈オー・マイ・NOLA〉に、意味深なニューオリンズ・ファンクの〈ドゥ・ダット・シング〉。
 ウィズ・ストリングスで歌われるロマンティックな〈ウィー・メイク・ア・ロット・オブ・ラヴ〉は『トゥ・シー・ユー』(97年)にも収録されたオリジナル曲です。ハリーに任せておけば、わたしたちはニューオリンズ音楽をこの1枚で探訪することができるというわけです。
「それが1枚じゃないんだ。今回初の試みなんだけれど、ブランフォード・マルサリスが主宰するマルサリス・ミュージックから、ビッグバンドのインストもの『シャンソン・デュ・ヴ・カレ』を同時発売する。2枚とも、ニューオリンズへのトリビュート・アルバムなんだ。もうすぐツアーにでる。前回が2000年だった から、早く日本でもコンサートをしたい。ぜひ日本の皆さんに、ヨロシク伝えてね。アッリガトウゴザイマシタ!」
 その2作の収益の一部が「ミュージシャンズ・ヴィレッジ」建設のために寄付されることも、書き加えておきましょう。

 ハリー・コニック,Jr.は万能のビッグバンド・リーダーです。作曲、編曲をこなし、大道具にメンバーの衣装まで手がけるのですから。コンピューター内蔵の譜面台は、大したもので、これがあるから、その日のお客様の雰囲気で選曲を随時変えることができるんです。ただ今全米ツアーだと思いますが、今回も大成功するでしょうね。たださえエンターテインメント精神に溢れたハリーのこと。ニューオリンズ音楽となったら、熱く燃えることまちがいなしです。

 ハリー・コニック,Jr.とニューオリンズの深い縁は、悲劇をきっかけに第2幕に突入し、今、明るい再生の物語を上演中なのです。
机上にかざってあるお気に入りカレンダーは、NTTサイバーソリューション研究所 所長の小川克彦さんが作ってくださったもの。3月はボッティチェルリです。名画を小川さんが撮影し、その切りとり方のセンスで魅せる作風がすてきでしょ。
4月と5月はルノアールだから、先のときが楽しみになるのも、いいですね。

 小川克彦さんの著書「デジナルな生活〜ITがデザインする空間と意識」(NTT出版)を、読みふけりました。60年代から現在までのITツールの変化、携帯電話などのITツールの発展と、発展のなかでの日本の独自性が解って、勉強になったし面白かったのです。近未来への予言には、夢が膨らみました。

『デジタルな生活』
ITがデザインする空間と意識
小川 克彦
エヌ・ティ・ティ出版株式会社
価格:2,625円 (刊行状況)既刊
発売日:2006.04.24
ISBNコード:4-7571-4101-7

ハリー・コニック,Jr.
『オー・マイ・NOLA』

ソニーミュージックジャパン
SICP-1172
2007年3月21日発売予定

権利者の許可を得ずに、複製することを禁じます。
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