中川ヨウのミュージック・ダイアリー

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マイケル・ブレッカーの足跡

[2007.05.19]
 マイケル・ブレッカーは、1949年3月29日、ペンシルヴェニア州フィラデルフィアに生まれました。父親もセミプロのジャズ・ピアニストで、母親も大のジャズ好き。常にジャズがみちている環境で育ったといいます。
「しかもフィリー(フィラデルフィア)には、いい音楽なら何でもあったんだ」(本人談)

 クラリネットを経てアルト・サキソフォンを手にしたマイケルは、高校時代にテナーに転向。地元のR&Bバンドで演奏し、18歳でプロとしてやっていく決意をしました。68年にレコーディングされた兄ランディの初リーダー作が、マイケルのアルバム・デビュー。70年にNYに進出し、ランディとマイケルのブレッカー兄弟は「ドリームス」を結成し、2枚のアルバムを残しました。

 そして73年にホレス・シルヴァーのグループに兄に続いて迎えられ、約3年間活動。
 台頭するフュージョン・ムーヴメントのなかにあって、70年頃マイク・マイニエリの「ホワイト・エレファント」にも参加。
 その頃、マイケルはジェームス・テイラーの『寂しい夜』(72年)参加をはじめ、スタジオ・ミュージシャンとして超多忙な生活を送っていました。「まず電話をかけるべきスタジオ・ミュージシャン」という意味で、「ファースト・コール」と呼ばれ、その一人として多くのスターたちの作品に参加しています。

 初来日は、73年。ちょっと意外ですが、オノ・ヨーコの「プラスティック・オノ・バンド」の一員としての来日でした。以降、親日家として40回以上来日公演をし、生涯日本のジャズ・ファンを愛しました。
「マジメに静かに聴いてくれるので、自然にこれからもがんばろうと思わせてくれるのが、日本のリスナーなんだ」(本人談)

 74年に、一世を風靡した「ブレッカー・ブラザーズ・バンド」を結成。疾走するスピード感、正確無比なテクニックとファンキーなテイストをもったブロウで、新世代のジャズ・ファンをとりこにしました。6枚のアルバムをレコーディングして、81年に終結したブレッカーズですが、後に再結成することになるのはファンならご存知のはず。

 79年「ステップス」、後に「ステップス・アヘッド」と名称を変えた当グループに、マイケルは86年まで在籍しました。
 また80年代になると、パット・メセニーの『80/81』に参加します。87年、満を持して作った初リーダー作『マイケル・ブレッカー』に、パット・メセニー、チャーリー・ヘイデン、ジャック・ディジョネットという前記アルバム参加者を招いています。テナーとEWI(サックス・シンセサイザー)を駆使し、マイケルが新たな地平に立った初リーダー作でした。

 88年に発表した、第2作『ドント・トライ・ディス・アット・ホーム』で、マイケル個人名義ではグラミー賞初受賞。90年リーダー第3作『ナウ・ユー・シー・イット』をリリース。92年から94年にかけてブレッカー・ブラザーズ再結成にともない、2枚のアルバムを録音し、ワールド・ツアーを敢行しました。
 95年にマッコイ・タイナー・フィーチャリング・マイケル・ブレッカー『インフィニティ』が、グラミー2部門受賞。マッコイ・タイナーとの共演で、ジョン・コルトレーンへの憧憬を、自身の血肉と変化させた感があります。

 96年インパルスから発表された6年ぶりのリーダー作『テイルズ・フロム・ハドソン』(グラミー2部門受賞)以降、アコースティック・ジャズ路線を通し、マイケルは円熟味を増した作品群を世に放ってきたのです。『トゥ・ブロックス・フロム・ジ・エッジ』(98年)、『タイム・イズ・オブ・ジ・エッセンス』(99年)発表。

 初めてのバラード集『ニアネス・オブ・ユー:ザ・バラード・ブック』(2001年発表、同年グラミー賞受賞)は、マイケルが「初めて自分のアルバムを、忸怩たる思いなしで聴けるようになった」と語った作品です。
 02年にはハービー・ハンコック〜ロイ・ハーグローブとの『ディレクションズ・イン・ミュージック』で、2作連続グラミー賞受賞、スイングジャーナル誌ジャズ・ディスク大賞金賞を受賞しました。
 同年チャーリー・ヘイデン with マイケル・ブレッカー『アメリカン・ドリームス』にも大きくフィーチャーされています。

 また前作に当たる、15人編成のラージ・アンサンブル作『ワイド・アングルス』(03年)のグラミー2部門受賞は、ことのほかうれしいと語っていました。

 2007年1月13日、白血病のためニューヨークの病院で、家族たちに見守られ逝去。同年2月11日に発表されたグラミー賞では、兄ランディ・ブレッカーのアルバム『サム・スカンク・ファンク』で、マイケルは「ベスト・ジャズ・インストルメンタル・ソロ」と「ベスト・ラージ・アンサンブル・レコーディング」の2部門に輝き、彼のグラミー受賞歴を13回に更新しました。
 そして5月、遺作にして最新作『聖地への旅』(原題『Pilgrimage』)の発表になるわけです。

 ツアーからニューヨーク近郊の自宅に帰ると「掃除機をかけてくれ、息子の野球の試合にもできるだけ顔を出す、よい夫で父親」と、スーザン夫人は語って います。  マイケルがどれほど練習をしたか、音楽に献身的だったか、友人に心優しく正直だったか、家族を想っていたか、わたしたちは生ある限り、決して忘れるこ とはないでしょう。
ニューヨーク近郊の自宅でくつろぐ、マイケル・ブレッカー。鳥がさえずり、スーザン夫人丹精の花が咲いています。
権利者の許可を得ずに、複製することを禁じます。
自宅の地下は、ワンフロアがマイケルの部屋。そこでおもいっきり練習をし、作曲をし音楽に没頭していました。
マイケルは、ラジオ番組の収録でも、できれば自分の録音は聴きたくないと言うほどの完璧主義でした。
ここ数年は変わってきたのですから、すばらしいですね。

サム・スカンク・ファンク
「SOME SKUNK FUNK」

ビクターエンタテインメント
VICJ-61289
2005年11月30日発売

【神田祭】

「神田祭」が、今年もお江戸に初夏の風を運んできました。
神田祭は、東京のすべてのお祭りの「最初」と決まっていて、5月の前半に行われます。
当然、格式もあって、江戸時代に「天下祭」「御用祭」と呼ばれた頃からの祭礼文化が、継承されているんです。
心踊る熱気、人々の一体感。そして神田ならではだなぁと感心するのが、その「粋」。
礼儀があって、喧嘩なし、ゴミなし。素晴らしいですね。

【中学の同級生(&そのファミリーの)集合写真】前段、左から・服部孝子さん、服部さん夫妻。・齋藤茂明さん・その夫人、まめ・ミチ・ミチ子ちゃん 後段 左から・西村さん・齋藤ミホちゃん・ヨウ・(神田の青年部で、いつも我々を招いてくださる)高嶋輝象さん・智子ちゃん・小野さん Photo by まこさん
「駅入り」で、「端棒」をかつぐ小野さんと、「先導役」の高嶋さん
「鍛冶弐」の御神輿
鍛冶町の御神輿だけ、神田駅に「駅入り」ができます。勇壮!
ヨウ@神田駅
鍛冶町2丁目のお囃子
お囃子の中。若い方の参加がうれしい限り。
芸大が作った、透明の御神輿。
ちょっと、クラゲみたいでした。
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