中川ヨウのミュージック・ダイアリー

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ジョーイ・カルデラッツォの『夜明け』と『俳句』

[2007.06.15]
 ジャズ・ピアニストとして、マイケル・ブレッカー・グループやブランフォード・マルサリス・カルテットで活躍しているジョーイ・カルデラッツォを、ご存知でしょうか。非常に「パッショネイト」なピアニストで、小柄な体躯で「弾きまくる」躍動的な姿に、魅了されてきた聴き手も多いことと思います。
 それがですね、ジョーイの新作『夜明け』を聴いて、行間からも語りかけてくるピアノに、芸風が変わったなと。いえ、内面までも変わったのじゃないかと思ったわけです。『夜明け』(原題『Amanecer』)からは、ピアノと対話する喜びや、内面の奥深くから静かにわきあがる、平和なリラックスした気分も聴こえてきたのですから。そこで、今日はジョーイ・カルデラッツォのことを書きたいと思います。
 『夜明け』はジョーイのソロ・ピアノを中心に、チリ出身の女性ヴォーカリスト、クラウディア・アクーニャと、あるいはブラジルを代表するギタリスト、ホメロ・ルバンボとのデュオが各1曲、トリオ編成が2曲という構成になっています。プロデュースはジョーイに全幅の信頼をおく、マルサリス・レーベルの創設者、ブランフォード・マルサリスがつとめています。

 ジョーイの変化は、実は数年前から始まっていました。
 特に顕著だったのは、マルサリス・ミュージックに籍を置いて放った第一弾で、初めてのソロ・ピアノ作で前作にあたる『俳句』 です(日本では今回、『夜明け』と同時発売されました)。それまで彼のピアノの形容詞だった「情熱的」、あるいは鍵盤狭しと弾きまくる奏法が影をひそめ、内面と向き合うジョーイの独白が 聴こえてきたからです。

 ジョーイ・カルデラッツィオは1965年2月27日、ニューヨーク州ニュー・ロシェルに生まれました。ジョーイ自身に、子供時代を振り返ってもらいましょう。
 「ぼくは、いわゆるハイパーな子供だった。じっとしていられないんだね。8歳のときに隣の家に住んでいた親友が、ピアノを習い始めたんだ。そのピアノに触らせてもらったら、楽しくてね。で、親にせがんでぼくも習わせてもらった。好きで、好きで、毎日弾いていた。ハノンなんかでも楽しかった」
 クラシック、ジャズ、ポップスと様々な音楽を聴き、ピアノを弾いて少年時代を過ごしたジョーイでしたが、17歳の頃には週5日、ニューヨークのジャズ・クラブに繰り出しては、ジャズの先人たちの演奏を聴きあさっていたそうです。
 ジョーイがプロとして活動をはじめ、マイケル・ブレッカーのツアー・バンドに抜擢されたのは86年でした。マイケルのアルバムには全曲ではありませんが、88年の『ドント・トライ・ディス・アット・ホーム』から参加しています。90年録音の『ナウ・ユー・シー・イット』、96年録音の『テイルズ・フロム・ザ・ハドソン』と、97年録音でマイケル・ブレッカー(2007年1月13日、白血病のため死去)との最後の共演作になった『トゥ・ブロックス・フロム・ジ・エッジ』に大きくフィーチャーされています。

 ジョーイ自身のリーダー・デビュー作は『イン・ザ・ドア』(91年)。その後『トゥ・ノウ・ワン』(92年)、『Joey Calderazzo(邦題:ザ・トリオ)』(2000年)、コ・リーダー作の『Our Standards』(96年)など,『俳句』以前にも7作近くをリリースしています。
 そのデビュー・アルバムと第2作に、各3曲づつ参加したブランフォード・マルサリスは、ジョーイお気に入りのサックス奏者で、またブランフォードも当時からジョーイのピアノの可能性を見てとっていました。
 マイケル・ブレッカーのグループに在籍していたジョーイが、結果的にブランフォードのカルテットに移る形になったのは、よんどころない事情からでした。
 ブランフォード・マルサリスの無二の親友で、デビュー作から共演を続け、同カルテット不動のピアニストだったケニー・カークランドが、98年11月12日不慮の死をとげたのです。ケニーの遺作にもなったブランフォード・マリサリス・カルテット作『レクイエム〜ケニー・カークランドに捧ぐ』を99年に発表した後、ブランフォードは一時期ピアノレスの編成も考え、ケニーなしでは理想のジャズに向かえないとまで嘆いていました。
 ブランフォードは煩悶した末、ジョーイ・カルデラッツォに白羽の矢を立てたのです。当時の様子をジョーイ自身に語ってもらいましょう。
 「驚くことに、ブランフォードのカルテットに参加して、 ぼくに一番最初に適応してくれたのが、ブランフォードだった。他のメンバーからは、『そこはお前の席じゃない』といったバイヴを、ステージ上で感じることがよくあったよ。ブランフォードは演奏中でもピアノの脇にやってきて、『弾きすぎるな』とか、リズムの指示をだした。ケニー・カークランドがぼくの前に立ちはだかるように感じることもあったよ。考えてもみて。マイク(・ブレッカー) のバンドでも、ぼくはケニーの後任者だったんだから。マイクのバンドではパワフルな演奏を望まれ、振り返るとぼくに静かな演奏を望んだ人は、それまで誰もいなかったんだ。身についてしまったスタイルを変えることは難しく、でもぼくは音楽のもつ空間を大きくとらえるよう努力した」

 99年録音のブランフォード・マルサリス・カルテット作『コンテンポラリー・ジャズ』では、実はわたしもケニーを懐かしんだのでした。ですが、ジョーイは同カルテットの一員として、2001年録音の『フットステップス』、03年3月録音『ロメール・ベアデンに捧ぐ』と、様々なスタイルの先人のジャズを演奏することで、確実に腕を上げ、音楽を大きくとらまえるようになっていきました。
 03年10月録音のブランフォード初のバラード作『エターナル』では、ジョーイのピアノ/作曲の静謐なまでの美しさにふれ、彼がとげた進化を確信したのです。
 06年録音のブランフォード・カルテットの『ブラッグタウン』は、非常に雄々しい作品でしたが、そこで際限なくクライマックスを導きだすジョーイのピアノにも、90年代にはなかった空間の広さや奥行きを感じました。
 その成長と並行するように、ジョーイはブランフォード・マルサリスが02年に父であるエリス・マリサリスらと創設したマルサリス・ミュージックとサインしました。ジョーイ自身の希望をブランフォードが後押しする形でレコーディングしたのが、ピアノ・ソロ作の『俳句』だったのです。
 それが完成したときの、ジョーイの誇らしげな様子も忘れられませんが、それ以上ブランフォードの喜びようといったらありませんでした。ジョーイがショパンのノクターンに触発され作曲し弾いた〈ショパン〉には、何度聴いても涙するといい、ジョーイがジェリー・ロール・モートンを聴き込み臨んだストライド・ピアノでの〈ダンシン・フォー・シングルズ〉には、真のスウィングがあると熱弁をふるいました。

 ジョーイ自身もこの『俳句』は、マイルストーンだったと振り返っています。現在の音楽的地平に立てたのは、ソロ演奏を試み、今まで以上に多くの音楽を聴き込んだおかげだと、次のように語りました。
 「クラシックではショパン、ラフマニノフ、ストラヴィンスキーに、ピアニストではグレン・グールドを聴きまくった。これはぼくのロマンティックな面を育む助けになった。ジャズでもジェリーロール・モートンをはじめ、セロニアス・モンク、キース・ジャレット、ブラッド・メルドーを聴いた。そして『俳句』をレコーディングしたおかげで、バラードを演奏するときのアプローチが大きく変わったんだ。マイクとツアー中に、日本でインスピレーションを受けた〈俳句〉という曲を、日本の聴き手ならわかってくれると思う。『好きなことをやれ』と励まし続けてくれ、チャンスを与えてくれたブランフォードには、ことばで表し切れないほど感謝している」
 そして、次に臨んだのが『夜明け』でした。ソロで培った自信を礎に、声と、あるいはギターと語りあう、美しいアルバムになっているのです。
 ここ数年、ブランフォードとそのカルテット・メンバーは、ともにノース・カロライナ大学でジャズを教えています。1ヶ月講義を続行する方式をとっていて、その間メンバーはアパートを借りて大学付近に仮住まいをするのです。
 「生まれて初めて自然のなかで暮らす気持ちのよさを知った」ジョーイは、生まれ育ったニューヨーク(近郊)を離れ、ノース・カロライナ州に移り住みました。パートナーの女性とも巡り逢い、プライヴェートでも落ち着いた喜びを味わっている現在。ジョーイが花や料理について語るなんて、10年前には想像することはできませんでしたもの。
 『夜明け』レコーディング直前まで、ジョーイは1ヶ月にわたるヨーロッパ・ソロ・ツアーにでていたそうです。
 「ある夜、ロンドンで70分の予定のコンサートを2時間も演奏しちゃったんだ。そのとき、今作のレコーディング準備ができたと感じた。大好きなギタリストのホメロ・ルバンボ、そしてカリフォルニアのモンタレー・ジャズ・フェスティヴァルで耳にして魅了された、チリ出身のクラウディア・アクーニャにも参加してもらうことにした。無垢な声の持ち主で、まるで天使のようでしょう」

 アルバムの主要な曲について、ジョーイのことばを借りながら、解説しておきましょう。
ミッドナイト・ヴォヤージュ
「ぼくのオリジナル曲では、最も知られているナンバーだろう。マイク(・ブレッカー)が96年に発表した『テイルズ・フロム・ザ・ハドソン』にこの曲を収録し、ステージでもよく演奏したからね。他に3、4人がこの曲をレコーディングしているし、ぼくのソロ・ライヴでもいつもリクエストされる。自作曲を自分で変える喜びを味わったよ」
シー・グラス
「マイク(・ブレッカー)が『トゥ・ブロックス・フロム・ジ・エッジ』に収録した、彼のオリジナルだ。ぼくはこの曲がずっと好きだったんだけれど、マイクのバンドでやると、どうしても納得がいく演奏にはならなかった。今回はまったく異なるアプローチで、ソロで弾いた」 抑えたエモーションと音量が、旋律を浮かびあがらせます。浮遊感のあるジョーイのピアノを聴くのも、初めてのことです。
トゥーネイ
「2000年にSony/米コロムビアからリリースしたリーダー作に,トリオ で録音したんだけど、そのときより飛躍的によくなっていると思う。まるで2人のピアニストが弾いているように、左手と右手で異なる旋律を弾いているんだ。まだ完璧ではないけれど、何年もかけて模索してきたアイデアの断片を、聴いてほしい」
夜明け
 マイケル・ブレッカーの『トゥ・ブロックス・フロム・ジ・エッジ』に、〈キャッツ・クレイドル〉という曲名で収録されたジョーイのオリジナル。ここではクラウディア・アクーニャと、ブラジルを代表するギタリスト、ホメロ・ルバンボとのトリオで静やかに聴かせます。スペイン語の歌詞は、クラウディアが書き下ろしたもの。「実はこの曲はシンガーのために書いたものなんだ。ぼくは、『歌』がとても好きなんだ。クラウディアとホメロと共演してみて、自分がどれほど歌が好きかを再認識したよ」
ザ・ロンリー・スワン
 ブランフォード・マルサリスがバラード集『エターナル』に収録した、ジョーイのオリジナル・ナンバー。そのときはブランフォードのアイデアでスローで演奏されたのですが(それも美)、「今作ではぼくが元来好きなボサ・ノヴァで、ホメロ・ルバンボとのデュオで演奏した。ホメロのアコースティック・ギターは、なんて素晴らしいんだろう」
アイヴ・ネヴァー・ビーン・イン・ラヴ・ビフォー
 フランク・レッサーが作詞・作曲した、「あなたに出逢うまで恋をしたことはない」という詞の甘いスタンダード。恋の喜びが、ストライド調のピアノにのせて謳われる。左手と右手のジョーイの工夫は、先に語られたとおりである。
ワルツ・フォー・デビー
 ビル・エヴァンスが姪のために書いた名ワルツを、ジョーイがソロ・ピアノで弾きます。
ララ
 クラウディアのハミングではじまる、トリオ編成でのテイク。この曲もどこまでも心地よく、ジョーイの明るい日々を映して、音楽が微笑みかけてくるようです。
 ジョーイは、今作リリース後、このトリオでツアーにでました。また旅先で、きっといい「歌」がうまれたことでしょう。
 ジョーイ・カルデラッツォの内なる声が聴ける『俳句』。彼のピュアさ、ピアノを弾く喜びが現れでた『夜明け』。彼の新境地をうれしく思いながら、ソロ/トリオでのステージを日本で観られる日を、心待ちにしています。

ジョーイ・カルデラッツィオ
「夜明け」

ユニバーサル ミュージック
UCCM-1114
2007年5月23日発売

権利者の許可を得ずに、複製することを禁じます。

ジョーイ・カルデラッツィオ
「俳句」

ユニバーサル ミュージック
UCCM-1115
2007年5月23日発売

ブランフォード・マルサリス
「ブラッグタウン」

ユニバーサル ミュージック
UCCM-1100
2006年9月12日発売

ジョーイが2006年5月に来日した際の2ショット

【一本主義 Vol.1】

傘と万年筆は、「一本主義」のわたし。気に入ったものを、永く使います。当然修理もしますが、それでも寿命がありまして、梅雨入りを前に、傘を買い替える必要がおきました。涙。。。

迷ったあげく、パリに行く友人に頼んで、おフランス製の「ギィ・ド・ジャン」のものにしました。パゴダ型といって、先端が仏塔の屋根のようなカーブをえがいているんですね。

生地には、オペラ座とバレリーナの絵(笑)。
ご覧のように、フリルまでついています(爆)。
過剰にラヴリー。恥ずかしい、かも?
でも過剰だからこそ、雨の日が楽しみな、今日この頃です。

【このサイト製作スタッフもこだわり派】
殿水さんのジャケット(左)の裏が、クール。きれいなボタンが、並んでいます。着物の裏地に“こる”のと、同じ心意気ですね。
高橋さんは、3Dのビーズ(右)が付いたTシャツ。そのビーズが取れないように、これだけはネットに入れて、自分で洗濯するそうです(笑)。

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