「マーカスのマーカス超え」。そう呼んでみたい、マーカス・ミラーの新作『フリー』が届きました。どこを切ってもまさしくマーカス・サウンドに他ならないのに、どこを聴いても、そこに進化が感じられるんです。まだマーカスに成長する余地があったのねと、うれしい驚きとともに聴いた『フリー』なのです。
2005年、エリック・クラプトンも参加したリーダー作『シルヴァー・レイン』を発表し、06年にはLevi'sとのタイアップで、様々なミュージシャンをフィーチャーしたセレクション・アルバム『アナザー・サイド・ミー』をリリースしたマーカス。そんな旺盛な制作活動と並行して、05年と06年、マーカス・ミラーはグループを率いて、世界をツアーしまくっていました。日本でも、もちろんライヴが行われましたが、そのツアーが今作『フリー』の布石になっているんです。
マーカスが言いました。
「気持ちを伝えたいから、次作(本作の意)はスタジオ・ライヴのような形式で、レコーディングしたいんだ」。
その成果が、ここにあります。ライヴでかけ続け、さまざまな試みをしたうえで、オーディエンスの反応もしっかりハートと脳にインプット。そのうえで勝ち残った、選曲とアレンジでの登場なのです。だから、いいわけなんです。
スタジオに入ったのは、現行グループといっていい、腕達者たち。ギターがディーン・ブラウンからポール・ジャクソン Jr.になっていますが、これは以前からディーンが忙しいときは、ポールが受けもっています。そして今まで比較的地味だったサックスが強化され、ヨーロッパのジャズ・フェスでマーカスがほれこんだ、キース・アンダーソンが新参加。この人は、悪くない。
ハーモニカのグレゴリー・マレットは、もうメンバーといっていいのでしょう。ソロもいいですし、サックス&パッチェス・スチュワートのトランペットと3人での掛け合いもイイ。ホーン・セクションの1人としての、機能も果たしているのですね。
レイラ・ハサウェイの、絶対音感美低音の歌声。プージー・ベルの、メタボリックなんて何のそのの、重量級ドラミング。それぞれの手練が一体になって生む、グルーヴ。それがあるから、マーカスにして過去のマーカスを越えることを可能にしたのです。

オープナー〈ブラスト〉のクールさに、まず、しびれます。ベースとシタール(byマーカス)を重ねて、継続するエスニックなムードを背景に、弾きに弾く。アンドレア・ブレイドのアコースティック・ギターも超絶。で、各楽器のブレンド加減が絶妙なのです。
タイトル曲〈フリー〉は特に注目したいところ。ヴォーカルに、コリーヌ・ベイリー・レイ。デイヴィッド・サンボーン(as)も参加という、夢のテイクになっています。この共演の発端は、ラジオから流れてくるコリーヌの声を聞いたマーくんが、いったそうなのです(失礼、私はマーカスをこう呼ぶことがあります)。
「いい声だね、この人。この人に、歌ってほしいな」
青ざめたのは、マネージャーだけでした。その時点では、コリーヌが昨年発表したデビュー作で、全英チャート、初登場1位に輝いたなどという情報を、マーカスはまったく知らなかったのですね。でも、話を聞いたコリーヌが、
「あら〜、私、ずっとマーカスのファンだったよ。うれしい!ぜひ歌いたいわ」
と言ったので、とんとん拍子に進んだこの共演。マーカスのベースと彼女の歌声のからみは、相性がよく、そしてセンシュアル。そこにお元気なサンボーンの泣き節が加わるんですから、文句ありません。
ナット・キング・コールの歌で大ヒットしたスタンダード〈フェン・アイ・フォール・イン・ラヴ〉は、バス・クラリネットで、男らしい音色で歌っています。あのマイルス・デイヴィスに「お前もやっと自分の楽器を見つけたな」といわれた、バスクラです。以来、演奏し続け、マーくんはここでも歌心を聴かせるのです。
〈ハイアー・グラウンド〉のようなご存知曲(スティーヴィー・ワンダー作曲)も、マーカスがエレベでメロディを歌えばいい気分。
タワー・オブ・パワーの〈ホワット・イズ.ヒップ〉では、サンボーンとチェスター・トンプソン(org)をフィーチャーして、マーカスは全編スラッピングで勝負。それが単調にならずに、聴かせるんですから、腕がまた上がったということでしょう。
こういう、いわゆるカヴァー曲のピックアップのし方も、マーカスは実に巧いですね。
マーくん!やったね!と、私は『フリー』に喝采を送ったのでした。

さて、そのマーカス・ミラーについて、復習です。
1959年6月14日、ニューヨークのブルックリン生まれ。中産階級の、愛にあふれた家庭に育ちました(マーカス談)。伯父さんに、ウィントン・ケリーという名ピアニストがいたことも、書いておきましょう。
10歳でエレクトリック・ベースをはじめ、R&Bのバンドを結成。「最初に演奏でお金をもらったのは、15歳のときだった」。
そしてジャマイカ・ボーイズをオマー・ハキム(ds)たちと結成。ジャマイカは、ちなみにブルックリンにある(彼の近所の)地名で、マーカスはこのR&Bグループで、知られるようになっていきます。
ジャコ・パストリアス、スタンリー・クラークから影響を受け、ジャズにはまってから20歳くらいまでは、まるでジャコのそっくりさんでしたが、いつしかオリジナリティを獲得するんですね(楽器をやっている人は、まず人の真似をしていいのだということの、証左でもあります。でも、できたらNo.1と思う人の真似をしましょう)。
81年から1年間、マイルス・デイヴィスのグループに在籍。でも、自身の音楽が追求したくて、脱退します。
83年に『サドゥンリー』を発表。つづいて『パーフェクト・ガイ』をリリースし、実力ばかりか人気もあげていきます。
また、同じマネージメントに所属しているデイヴィッド・サンボーンのプロデュースをかわきりに、ルーサー・ヴァンドロスのアルバムも手がけ、「名プロデューサー」と呼ばれるようになるのです。
当時、私はマーカスにプロデュースの肝を聞きました。
「ファンに徹することかな。ファンであるぼくが聴きたいと思う曲を、やってもらう。ミュージシャンは、自分自身に飽きてしまうことがあってね。自己変革したくなる。でも、ファンは喜ばない。ぼくは、その人のいいところを摘出して、それはマンネリじゃなく、特質なんだということを、きちんと説明するんだ」
マーカスのプロデュース作のきわめつけは、マイルスの『TUTU』(86年)でした。曲も、マーカスが書いたのです。
マイルスの意欲をかきたて、帝王の演奏もよく、また解りやすい仕上がりになっていたので、マイルスからの信頼と好セールスという、なかなか並び立たない2つの栄光をマーカスは手中にしました。そしてその信頼関係は、マイルスが亡くなるまで続いたのです。
マイルスが亡くなったときは、マーカスも珍しく落ちこんでいたものです。
「子供達に会わせてなかったので、子供達をつれて病院にかけつけたら、ぼくの耳元でいつものダーティ・ジョークをダミ声で言った。大丈夫だと思っていたのに…」
でも、マイルスの死が、マーカスを前に進めるんです。
「そう、初めて自分自身の音楽をやらなくっちゃと、心から思ったね。それまでは、自分がやらなくても、マイルスがやってくれると、どこかで思っていたから」
93年にマイルスに捧げた『キング・イズ・ゴーン』を発表します。そのすばらしさは、9年ぶりという、リーダー作のブランクを埋めてあまりあるものでした。
以降、『テイルズ』(95年)、ライヴ盤『ライヴ・アンド・モア』(97年)、初めて編んだベスト盤『ザ・ベスト・オブ・マーカス・ミラー』(98年)を発表します。
2001年に、約6年ぶりのスタジオ録音アルバム『M2〜パワー・アンド・グレイス』を発表。内容も、アルバム・タイトルも彼らしさにあふれていました。
そう、マーカスはよく「知性とエモーションのバランス」ということをいうんですが、本人も優れたバランス感覚をもった人なんです。音楽を作るときに、つねに力と優美さをこめようと考えているのでしょう。このリーダー作でのグラミー受賞を、とても喜んでいたことを覚えています。
02年にはアカペラ・コーラス・グループである、TAKE6のプロデュース。それ以前に日本で、彼らを伴ったジャズ・コンサートをプロデュースしていましたから、その頃から練っていたアイデアを披露したといういわけです。しかも「ファンの視線」をくずさない、王道をいくプロデュース作でした。
05年からの動きは、先ほど書いた通りです。
1989年のことです。「ライヴ・アンダー・ザ・スカイ」の最終開催地として、香港公演がありました。天安門事件のすぐ後だったので、覚えているんです。私もジャーナリストとして同行していたんですが、まぁ、マーカスはよく練習するんですね。打ち上げも、ま、キリのいいところで引き上げて「今、ある奏法を練習中なんだ」。
その超絶奏法は、次の来日のときには完成していて、ステージで見せてくれる。それがいつもなんですから、彼の努力には頭が下がります。
冗談もうまいし(ミュージシャンですから言い方の間が巧いんです)、人に優しいし、とても家族思いでもある。
「それはバンドのメンバーじゃないからだよ」
不動のドラマー、プージー・ベルが、口を尖らせました。
「ツアーに出る前は、リハーサル漬けだぜ。音楽には厳しいんだ。で、いざ本番だっていうときに、マーカスがいうのさ。今までやったことは全部忘れて、さぁステージでは新たにやろうぜって」
なるほどね。そうして作ったグルーヴであり、バンド・サウンドなんですね。
「マーカスのマーカス超え」。ぜひ聴いてみてください。
マーカス・ミラー
「フリー」
ビクターエンタテインメント
VIZJ-8
2007年7月25日発売
| ※ |
権利者の許可を得ずに、複製することを禁じます。 |

2005年に来日した際に再会し、はしゃぐマーカスとヨウ


| 2005年の3月。ラジオ局に遊びに来て、興がのって急に〈TUTU〉を弾きだしたマーカスに、スタッフ(+リスナー)感涙の巻 |
 |