本CDでは、2008年1月10日出版の拙著『ジャズに生きた女たち』(平凡社新書)で取り上げた8名のうち、楽曲使用の許諾がおりなかったアリス・コルトレーンを除く、7名の女性たちに登場してもらいました。“実際の音”で、「ジャズに生きた女たち」の世界へご一緒したい。そんな気持ちで、選曲しました。
CDを、拙書とともに聴いていただけたら、うれしいです。
ジャズ史に重要な足跡を残した最初の女性ミュージシャンは、リル・ハーディン・アームストロング(1898-1971)でした。
彼女はピアニストで作曲家でもあり、バンド・リーダーをつとめ、歌も披露しました。キング・オリヴァーのバンドから、ルイ・アームストロングのホット・ファイヴに移り、ルイの妻でもありました。本書「ジャズに生きた女たち」は、そのリル・ハーディン・アームストロングからスタートしました。
このアルバムでは、彼女が作曲し、ホット・ファイヴが演奏する〈ストラッティン・ウィズ・サム・バーベキュー〉の楽しさを聴きたいと思います。ニューオーリンズの香りがまだ濃密に残る、ジャズ初期のエネルギーとスウィングを伝えてきます。
リルのピアノも、控えめではありますがスウィングしています。
次は「クラシック・ブルーズ」を確立したシンガー、ベッシー・スミス(1894-1937)の登場です。ビリー・ホリデイや、ロック畑ではジャニス・ジョップリンに多大な影響を与えた“ブルーズの女帝”の歌声を、聴いていただきましょう。
1925年のルイ・アームストロングとの共演で、曲はW.C.ハンディが作曲した〈セントルイス・ブルース〉です。 ベッシー自身、このルイとの共演を生涯誇りにしました。
たっぷりとした声量とエモーションがこめられた彼女のブルーズには、アフリカン・アメリカン女性としての苦悩/苦しみを笑い飛ばす気概があふれています。
メアリー・ルー・ウィリアムス(1910-1981)は、アフリカン・アメリカンの女性として、はじめて作曲家、アレンジャーとして認められた人であり、スウィング時代に在籍していたアンディ・カークのバンドや、デューク・エリントン、ベニー・グッドマンのために作曲し、アレンジを書きました。
そしてビ・バップが生まれようとしていた時代には、セロニアス・モンクやディジー・ガレスピーたちに多大な影響を与えた人として知られています。
デューク・エリントンが彼女のことを「ジャンルを超えた人」と評価していますが、ブルーズ、ブギウギ、ストライド・ピアノ、そしてスウィングにビ・バップと、時代とともに変遷をとげた、しなやかな精神に敬服します。
ここでは、メアリーが1957年、ガレスピーのビッグバンドのゲストとしてニューポート・ジャズ・フェスティヴァルに久々に出演したときのピアノをお聴きいただきましょう。曲は彼女の代表曲である〈ズディアック組曲〉です。
“レディ・デイ”と呼ばれたビリー・ホリデイ(1915-1959)は、今でこそ不世出のシンガーと誰もが認めていますが、生前はその真価が広く認められていたとはいえません。
肌の色が起こす問題のほかにも、麻薬への依存とダメ男好きが、彼女の人生をより過酷なものにしました。でも、そういった負の要素をかかえながらも、渾身の力と希にみる才能で歌ったからこそ、“レディ・デイ”の歌声は、時代を超えて人々をいやすようになるのです。
ここでは、彼女が曲作りに関わった歌にしぼって、選曲しました。
1939年にレコーディングされ、彼女をスターダムにおしあげた〈奇妙な果実〉は、リンチにあい、ポプラの木につるされた黒人を、奇妙な果物にたとえて歌ったもの。この歌を南部で歌うと、いつも問題が起き、彼女自身、この歌は全身全霊で歌わねばならなかったので、そのたびに力つきたと回想しています。
不実な男を想う歌を歌わせたら、レディ・デイの右に出るものはいませんが、〈ドント・エクスプレイン〉も、そのひとつです。歌がもつ深い情感は、女性なら共感を覚えるでしょう。
最後の〈ゴッド・ブレス・ザ・チャイルド〉は、イエス・キリストへの想いをやさしく歌いあげた名曲です。デッカ・レーベル時代の歌唱で、聴いていただきましょう。
エラ・フィッツジェラルド(1917-1996)には、グラミー賞受賞13回といった名声、経済的な豊かさ、長寿と、大変恵まれたシンガーでしたが、そんなエラにも母親の死後、少年院に送られ、そこを脱走し、ホームレスになった若き日々がありました。
つらいことがあると「あの頃の自分にはもどりたくない」と奮起する、努力の人だったのです。
今作では、1938年、エラ21歳のときに放った初ヒット、〈ア・ティスケット・タスケット〉をお聴きください。1900年頃に書かれた詩を、彼女流に取りいれ歌詞を書き歌ったのですが、この曲が全米ナンバーワンになり、総計 100万枚をセールスするビッグ・ヒットになりました。
続いては、名を成してからベルリンで行った1960年の公演を収めた『エラ・イン・ベルリン』から、〈ハウ・ハイ・ザ・ムーン〉をお聴きいただきましょう。
スキャットの名人技がたっぷりと聴けますし、コンサート録音ですから、あなたを最上のライヴへと連れて行ってくれることでしょう。
2曲のあいだに横たわる年月に想いをはせ、エラがどれほど努力して歌がうまくなったかを知るのも一興です。
ジャズの世界でも、表舞台に登場する女性たちばかりでなく、裏でジャズを支えた人が数限りなく存在しました。世界的な富豪であるロスチャイルド家に生まれたパノニカ夫人(1913-1988)は、セロニアス・モンクやチャーリー・パーカー、その他多くのビ・バップ時代のミュージシャンを支援しました。そして、上記の2人を看とった人としても、知られています。
新書では、彼女がどうしてジャズを愛するようになったか、彼女側からのパーカー、モンクへの想いを書きました。
このCDでは、パーカー自身が死の直前に「医師に聴かせるんだ」と選んだウィズ・ストリングス・アルバムから、〈エイプリル・イン・パリ〉を聴いていただきます。
“ニカ”のために、ホレス・シルヴァーは〈ニカズ・ドリーム〉を作曲し、多くのジャズ・ミュージシャンが曲を書きましたが、次はセロニアス・モンクが作曲し、ソロ・ピアノで演奏する〈パノニカ〉を聴きたいと思います。
彼女の知性ばかりか、複雑な性格も描写されているように思うのは、深読みでしょうか。
穐吉敏子(1929年-)は「グローバルな地平に立ったうえで、自身のアイデンティティを表現する」という“二十一世紀的視線”を時代に先駆けて有し、それにより地平を切り開いてきたといってよいでしょう。
ジャズと日本の文化を融合させた、つまり、グローバルでありながらアイデンティティに根ざした音楽を、特に1970年代に入ってから創作しつづけてきたのです。
彼女は、はじめてアメリカに“ジャズ留学”した人としても知られていますが、本作ではまず、渡米前(1953年11月)のデビュー作『アメイジング・トシコ・アキヨシ』から1曲選びました。渡米前も大変すぐれたピアニストだったということを証明したかったからです。
このレコーディングは、かのオスカー・ピーターソンが、プロデューサーであるノーマン・グランツに強く推薦したことから実現しましたが、バックをつとめているのは、そのピーターソンの来日時のグループ・メンバーたちです。
また、最後の曲は、1960年、穐吉敏子が作曲し、現在も彼女が「わたくしのシグネチャー・チューン」という〈ロング・イエロー・ロード〉です。
黄色の肌をした日本人である彼女が、アメリカでジャズとともに歩んできた道を意味したもので、幼少の頃引きあげてきた中国でみた、どこまでも続く黄色い道から曲想をえた曲です。
彼女がはじめてジャズのビッグバンドに木管楽器をもちこんだ、トシコ・アキヨシ=ルー・タバキン・ビッグバンドの演奏でお聴きください。
21世紀になって、まず地球人としての広い視野に立ちつつ、自身のアイデンティティをそこに加えた音楽が、多くみられるようになってきました。
そういった状況のなかで、ジェンダー(性差)の壁が低くなり、ますます活躍の場がふえている女性ミュージシャンの役割は、今後も大きくなっていくことでしょう。
女たちは、これからもジャズを育てていくにちがいないのです。